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○武田信玄自己の像を造る事

卷之二 第20話 · 段落 1 · NDL 1078984 59コマ R · 異本による補遺

人物地名家(氏)官職日付索引へ

武田信玄命數盡きて死なん事を前知しければ、茫然自失するもの良久しかりけるが、斯く女々しく嘆きたればとて天命は戾し難く、已を得ず、せめては武威を近國に振ひし我が姿形を遺さばや、と佛師運阿彌を呼んで我が像を彫刻せしに、日を經て成就しぬる程に、我が實體を鏡に照して篤と視比べけるに、似たりや似たり左も似たり、所謂瓜二つになせしが如くにして、且つ其の像宛然生けるが如くなりければ、信玄喜悅こと限りなく、佛師には數多の金銀を與へ、其の後彼の像を中央に安置し、諸將を招きて申されけるは、我れ旣に老ぬれば命數も近きにあらん。切ては後世に我姿形を遺さん、と豫て佛師に申し附け彫刻せし所旣に成就せり。然れば我が無き後は各々力を協せ、忰勝賴を弼け、武田家の隆盛を謀るべし。又勝賴には老臣の輩諫る事あらば、父が命と思ひ愼んで之に從ふべし。必ず身を高ぶること勿れ、と最と懇切に遺命有りしかば、諸將等皆拜伏して唯落淚に及びける。中に長坂、跡部の兩人進み出で、誠に君の御姿を後世に遺し給はんこと、此像だに在まさば君御在世も同じからん。御當家萬々歲此上なし、と頻に譽しかば、眞田安房守昌幸、長坂跡部の兩人に向ひ、各方1は君の肖像を造らせ給ふを譽給ふなれど、是れ大に然らず。隣國の諸侯國郡を奪はれし者は、今君の武威盛んなる故、小笠原村上諏訪の殘黨等首を屈めて、或は北條上杉等の處に身を隱し居れど、甲府に變も有らば日頃の欝憤を散さんものをと、手に唾して待つ者其の數を知らず。今にもあれ君御病死とあらば、諸國の大軍此虛に乘りて押寄來るは必定なり。然るときは我々種々の手術を廻らし防戰なす共、若も敵兵亂入ば先づ此像を鞭打ん。憖に像を拵へ、却て後世に恥を殘す事有らんも亦測るべからず。誠に益無き事、と申しければ、長坂跡部何と答ふる辭もなく閉口して居たりしが、信玄熟熟之を聞き、誠に眞田が申す所至極せり。我れ旣に病死とあらば近國の諸侯競ひ來り、先づ甲府に亂入り、是れこそ日頃の遺恨に思ふ信玄が像なりとて、必ず手足を切り離し首を落さん。敵の手足に掛けられん事こそ口惜けれ。由なき事なしたり、と太刀拔き放ち、已に彼の像を切り捨てんず勢ひなれば、昌幸之れを制し、暫時御待ちあられたし、可惜正像を今無解に切り捨て給はん事こそ本意ならず。願くは某に給はらば難有し、と謹んで申しければ、信玄何に致すや、と問はれしに、昌幸答て、臣所存御座候へば、何は兎もあれ賜はれたし、と乞けるにぞ、信玄も何か子細の有る事ならんと思され、然らば汝に與ふべし、と其まゝ眞田に賜ひける。軈て眞田御暇を告げて此の木像を我が館に持ち歸り、一間の閑所に引き籠り、一七日の後信玄竝に諸將を我が館に請待せしかば、皆々何事ならんかと到り見るに、座敷の正面に不動明王を安置し、香花燈明を供し、誠に生るが如きの尊像なれば皆々拜をなし、信玄公を招待するに、何故不動の像を祀られしや、など呟きつゝ、美酒珍肴の饗應に一同大に興を催し、酒旣に酣に及んで信玄笑を含み、何故に不動明王の像を祀りしぞ。汝が信仰せし故なるか。昌幸答て、君には那を不動明王と御覽ありしや。信玄大に笑ひ、繩を持ち劔を携へ、後に炎火を負は何んぞ、不動明王にあらずや。昌幸笑うて、那こそ先達て乞ひ受け奉りし君の正像なり。是某が工夫を以て斯くは致せしなり。不審なし給ふ方々能く聞き給へ。折角君の御彫刻ありし木像を打碎きて捨てんは、夫れこそ君の思召を反古になすと云ふものなり。斯く不動に造り直せば像も捨てず。敵兵も不動なれば罰を恐れて、迂濶には手を出すこと之れ有るまじ。然れば君の御姿損せずして後世にまで傳はらん。昌幸が捨てて捨てざるは先づ斯くの如し、と有りしかば、一座の諸將皆感じ入り、暫時は言句も無かりけり。其後善光寺に藏め置きしかば、果して天正十年の亂に、織田父子竝に德川甲府へ亂れ入ると雖も、此像有ることを知らざりしこと、誠に眞田が明智と謂ふべし。因て今に其像遺れりと云ふ。
  1. 誤植 — 底本「各方」。振り仮名「おのおのがた」から「各々方」の「々」の脱落か。