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○眞田昌幸卽謀1の事

卷之四 第34話 · 段落 2 · NDL 1078984 96コマ L · 異本による補遺

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  1. 誤植 — 底本「卽謀」。目次では「智謀」。「智謀」の誤植か。
勝賴景勝の代に至り、甲越飯山に對しけるに、武田方は勝賴自ら二萬五千の兵を率ゐて出張なせるが、上杉方は直江山城守兼續を大將として、三萬餘騎を引具したりける。武田方の先鋒土屋惣藏、初鹿野傳右衞門急ぎ勝賴の御前に出で申しけるは、上杉勢直江山城守三萬餘騎、飯山より三里隔てて陣を出し候なり。何卒我々今宵夜擊致し度存ずる間、御許し下されなば、敵を一時に攻破り候はん、とぞ願ひけるに、勝賴道理に聞かれ、敵の備へ無きを擊つは軍法の奧義なり。早く其用意を致すべし、と命じければ、土屋、初鹿野の兩人大に喜悅びて退出せし後へ、眞田昌幸來りて謁しければ、勝賴今宵夜擊の事を物語るに、眞田大に笑ひ、直江兼續は尋常の敵に非ず。夜擊をなさば極めて其の用意有るべし。勝賴聞きて、汝が慮り甚だ過ぎたり。直江何どて今宵用意すべきや、と云ひしに、眞田は答へもあらず、冷笑うて出でにけり。去程に土屋初鹿野の兩人は、手勢三千五百餘人を以て、其夜初更の頃及より用意をなし、飯山より直江が陣に押寄せたりしに、篝火少々燒き捨てたるばかりにて川意2の體も見えざれば、土屋、初鹿野大に悅び、偖ては敵合戰は明朝と油斷せしものならん。いざ打掛らん、と三千五百の精兵㗢と閧を作り攻懸りしに、陣中には人影だに無く眞闇なりければ、土屋、初鹿野不審し居たる所、一聲の鐵炮耳根に響くと齊しく、此方よりは柿崎隼人五百餘人擊つて出で、彼方よりは安田下總守同じく五百餘人、後よりは甘粕近江守、前よりは直江山城守、須田大炊之介、杉原常陸之介、惣勢三千餘騎、各潮の涌くが如く擊つて出でければ、何かは以て堪るべき、土屋、初鹿野が勢大に討れ、辛うじて飯山の陣に迯げ歸りける。直江が勢は之を見て、謀有らん事を氣づかひ、長追もせず元の陣に引返しける。偖ても土屋、初鹿野は敗軍の士卒を引き、面色土の如く恥かきの體にて本陣に歸りければ、勝賴は初めて眞田が申せし事を感じける。斯くて又昌幸申しけるは、奈何に土屋初鹿野殿、今一度直江が陣に夜擊を蒐けられよ。初鹿野申けるは、我々初め大に破れたれば、今一度參らば今度は生きて歸ること叶ふまじ。土屋申しけるは、然に非ず、何はともあれ今一度夜擊を蒐けて見申さん、と勸められ、初鹿野心ならずも又三千五百人の新手を率ゐて押寄せける。此方は直江が陣には夜擊を破りて手始よしと喜悅び、陣中にて酒宴を催し、明朝は早く押出さん、と其の用意をなしければ、再度夜擊來らんとは思ひも寄らぬ所へ、閧の聲聞えしかば、すはや又夜擊來りしぞ、と上を下へと騷動し、太刀よ鎗よと犇めく所に、土屋、初鹿野勇を奮うて攻掛れば、上杉勢瞬間に大敗し、春日山を指して引退きける。
  1. 誤植 — 底本「川」。「用」の誤植か(「用」の横画欠け。同じ紙型の別刷では「用」)。
初度を止めて再度を勸むる謀計は、漢土後漢の世に於て賈羽旣に之を行ふ。曹操和を發して襄城を攻めけるに、河北の袁紹都の空虛に乘り攻入んとする由聞えければ、曹操以ての外に驚愕き、今都の內空虛なるに、袁紹若し攻上らば、忽ち瓦の碎くる如くに破れん、とて取るものをも取り敢へず、兵を引きて馳せ上りけるに、張繡之を聞きつけ、急に追蒐て擊たんとするを、賈羽諫めて申しけるは、必ず追ふべからず。若し追ふときは却て敗れん。劉表傍に在りて申しけるは、曹操都に事ありて敗軍を引きて惆慞かへる。我れ之を追はんに何をか待ん、とて張繡と一手になり、一萬餘騎にて追蒐くる。曹操は自ら後陣に居けるが、追手の蒐かるを見て豫て期したる事なれば、一軍を引いて取つて囘し散々に打敗る。劉表張繡したゝかに擊れて引退き、賈羽に逢うて、御邊の諫めを用ゐず、今大に敗れたり、と云ふに、賈羽申しけるは、兵を調へて今一度追ひ給へ。張繡が曰く、旣に一戰に負けて敵は勇み御方は弱る。爭でか又追ふ事を得ん。賈羽申しけるは、兵勢は變あり、急に又追蒐け給はば、必ず打勝ち給はん。萬一勝たずして囘り給はば某が首を獻ぜん。張繡、然らば再び追うて見ん、とて打立ちけれ共、劉表は疑うて從はず。張繡一手の兵を驅りて、飛ぶが如く喚きて曹操が勢に擊つて蒐りければ、戰はんとする者獨りも無く、馬物具を打ち棄て亂れ騷ぎて迯げ走る。張繡長追は却つて敗を引出すの基なりとて引囘しける。劉表之を見て大に驚き、賈羽に問うて申しけるは、嚮に我れ精兵を引きて追ひ蒐くる時、御邊之を止めて、追へば必ず破れんと云ふ。又敗軍を引いて再び追はば必ず勝たんと云ふ。果して御邊の言に外れざるは如何なる故ぞ。何とて此の如く先見の明かなるぞ、と申しけるに、賈羽答ふるやう、是れ知り易き事なり。將軍能く兵を用ゐ給へ共曹操には及ばず。勢眞に敗軍の後なれ共、追手蒐らん事を知りて、自後陣に備へて精兵を殿とす。是の故に追手の勢壯なりと云へ共打負くべきを知る。曹操旣に打勝ちて後は、再び敵の追はんとは思ひ寄らず。都に事ありて心急ぐ故に、屈强なる騎馬の勢は皆前に進み、其の身も路を急ぎて一手の勢を後陣とし、大將に命じて守らしむ。是れに由つて重ねて追ふ時は敵の不意に出るなり。曹操が大將能く戰へ共亦將軍には及ばず。是れ必ず勝つべきの理なり、と申しければ、劉表も張繡も其高論にぞ服しける。賈羽の事と昌幸の事とは追擊と夜擊の差こそ有れ、其趣は一にして、賈羽は早く昌幸は晚ければ、卽ち昌幸は同じ謀を二度したるものにして、敢て奇なりとするに足らずと謂ふべきか。本計の利益たるや再三再四用ふるも、尙ほ且つ敵を欺く事を得べきの妙策なり。兵家宜しく知り置かるべし。