天正十年勝賴の弟仁科五郞信盛高遠の城を守る。織田信忠僧を使として、勝賴の滅びん事近きに有り、とて城を出らる可し、と言ひ送りたりければ、信盛怒つて返答もせで、僧の耳鼻を剝いで追ひ出す。信忠、然ば攻めよ、とて押寄せて嚴う攻むるに、城兵殘り少く討れ、信盛、小山田備中、渡邊金大夫照、春日河內守、原隼人、今福安左衞門、諏訪莊右衞門已下十八人、十二間に七間の廣間に籠り、火を散して戰ふ。信忠淺黃金襴の袍かけて屏に上り、梧桐の枝に取り附き下知せらるゝを、目にかけ七八度打つて懸る。此の時三十五六歲許の女房の緋威の物の具著眉尖刀を提げ、諏訪莊右衞門が妻なりと名乘り、七八人薙ぎ伏せて自害しけり。信盛を始として死狂に切つて廻れば、攻めあぐみたる時、森武藏守長可屋根の板引破らせ、鐵炮を打込みたりければ、信盛床の上に上り、腹切つて腸を摑んで唐紙に擲ち倒れ死す。其の血痕後まで有りと言へり。小山田已下も自害したり。信盛此の時十九歲なり。信忠の取り着かれし梧桐に鎗刀の痕犇と附きて、大廣間の天井も柱も鎗太刀の痕ありて血に染らぬ所なし。庭に殘れる雪に血かゝりて紫となれりとぞ。