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石田三成
本文表記 三成・石田・治部・治部少輔・石田治部少輔三成・佐吉・石田殿・石田治部・、三・。三・て三
竹俣兼光の刀の事 卷之九 · 1
- p01…りて探し求むるに、眞の兼光の刀を淸水の南坂より取出す。斯くと石田三成に告げて、贋物したる者十三人日の岡にて死刑せられけり。竹俣越…
上杉景勝大人氣なる事 卷之九 · 1
- p01…たるに、豫て上杉の臣直江兼續の約せし事にしあれば、上方に於て石田三成豐臣秀賴の命を矯り、毛利、浮田、島津、小西諸將と倶に兵を擧げ…
石田三成が事 卷之十一 · 8
- p01…石田治部少輔三成は、近江國石田村の百姓佐五右衞門といふ者の子にして、幼かりし…
- p01…、近江國石田村の百姓佐五右衞門といふ者の子にして、幼かりし時佐吉と言しが、家貧しく近き邊の寺に遣りて在りけり。或時秀吉彼寺に…
- p01…が、家貧しく近き邊の寺に遣りて在りけり。或時秀吉彼寺に行き、佐吉が明敏なる故呼出して側に仕へしめしが、頻に祿を增し、水口四萬…
- p01…て側に仕へしめしが、頻に祿を增し、水口四萬石與へられける。後三成に、人數多招きたらん、と問はれしに、島左近一人呼出し候、と申…
- p01…る者なり。汝が許に小祿にて如何で奉公すべき、と言はれしかば、三成、祿の半分を分ち二萬石與ハ候、と答ふ。秀吉聞きて、君臣の祿相…
- p01…な、と深く感ぜられ、島を呼出して手づから羽織を與へて、是より三成に能く心を合せよ、と言はれけり。三成佐和山を賜りたる時、島に…
- p01…から羽織を與へて、是より三成に能く心を合せよ、と言はれけり。三成佐和山を賜りたる時、島に祿增與ふべき由言ひけれども、祿更に不…
- p01…町將軍家に仕へ、江州高宮の傍に甲斐無き樣にて隱れ居たりしを、三成招き出しけり。…
關白秀次公生害の事附吉田修理が事 卷之十一 · 2
黑田如水先見の事 卷之十一 · 4
石田三成直江兼續密謀の事 卷之十一 · 1
- p01…石田三成或雨夜の徒然成りしに、直江を近附け私語きけるは、卑賤より出で…
石田が黨東照宮を謀り奉らんとせし事 卷之十一 · 6
- p03…關東より十萬の軍兵集りたり、と人々思はぬ者も無し。是に依りて石田が謀空しくなると言へり。東照宮、柳生又右衞門は、石田が士大將…
- p03…に依りて石田が謀空しくなると言へり。東照宮、柳生又右衞門は、石田が士大將島左近と同國の好にて懇なりと聞召され、左近方へ行きて…
- p03…斷有る人無ければ何事か有るべき、と打笑ひけり。此子細は、或時石田密謀に及びけるに、左近、豐臣家の爲を存ぜんに斯くあらで止むべ…
- p03…空しく外し給ふ事多し。旣に時を失ひぬ。能々世の有樣を見るに、石田の家を惡む人々、大かた德川殿に心を寄せたり。當家の存亡計るべ…
- p03…親しみ、暫く時を待つべきも一つの計策にてこそ、と言ひければ、三成、されば縱令一時に能く志を遂ぐるとも、後の安かるべき樣を計る…
- p03…に何程の事か候可き、とて又存ずる旨を言ひ出しけるに、客の來て三成坐を立ちければ、樫原彥右衞門居殘りて左近に向ひ、如何にも仰せ…
細川忠興忠告の事 卷之十一 · 5
- p01…石田三成を始め相組する人々、加賀利家を推尊みて、東照宮を傾け奉らんと…
- p01…ば、聊麁略候まじ、と答へらる。利長、尤斯こそ有るべけれ。頃日石田三成、小西等相計つて、內府の向島の館を攻圍まんと議決しぬ。潛に知…
- p03…しかば、忠興、近習の人を屏けて、只今參る事別の子細も候はず。石田等黨を結び利家を依賴として、君を亡し申すべきと企て候。利長と…
- p03…かれけり。忠興、されば愚者も千慮の一得候。此事を思慮するに、石田謀つて兩雄を鬪はしめ、其弊に乘らんと料るものに候。兩雄相鬪ひ…
- p03…げなん所存見顯し候。寬仁の內府に與してこそ家をも起すべけれ。三成と心を合せて名を汚し身を失はんは必定にて候。斯く申す詞を許容…
七人の大將石田を討たんとせられし事 卷之十二 · 25
- p01…坂に在りたる諸將の中、福島正則、淺野幸長、黑田長政、已下七人石田と不和なりし人々、使ひを以つて、朝鮮に有りし時各力を盡し軍せ…
- p01…爭論甚しく、使度々に及べり。七人の諸將、此事只に止むべきや。石田を討亡しても必ず所存を遂ぐべし、との趣を石田聞きて、上杉景勝…
- p01…只に止むべきや。石田を討亡しても必ず所存を遂ぐべし、との趣を石田聞きて、上杉景勝に、如何すべき、と問ふ。上杉も案じ煩ひしに、…
- p01…勝に、如何すべき、と問ふ。上杉も案じ煩ひしに、佐竹義宣、日頃三成に親しかりけるが、是を聞きて伏見より大坂に赴き、三成が許に到…
- p01…宣、日頃三成に親しかりけるが、是を聞きて伏見より大坂に赴き、三成が許に到りて、別に存ずる旨も無し。たゞ德川殿に告げて、和平の…
- p01…、和平の事を賴むべき外謀有るべからず、とて三千許の兵を以つて三成を伴ひ伏見に赴きければ、諸將、事を延したるゆゑ石田を逃しつる…
- p01…兵を以つて三成を伴ひ伏見に赴きければ、諸將、事を延したるゆゑ石田を逃しつるよ、とて旣に追駈けんとせられしに、早伏見に著きたら…
- p01…ば、さらば今世治りたるに弓箭を起さんとや。力無き事共なり。我石田と心を合せ諸將と軍すべし、と仰せられしにより、止む事を得ずし…
- p01…からん。子息隼人正の事は、我能く家を全うせん事を計るべし、と三成に仰せられしかば、忝なき由謝して、佐和山に歸るべきや否や景勝…
- p01…げられよ。是に過ぎたる謀有るべしとも覺えず、と計られしかば、三成佐和山に赴くにぞさだめける。三成が士大將、島左近昌仲三成に勸…
- p01…とも覺えず、と計られしかば、三成佐和山に赴くにぞさだめける。三成が士大將、島左近昌仲三成に勸めけるは、秀家、秀詮も兩端を持す…
- p01…ば、三成佐和山に赴くにぞさだめける。三成が士大將、島左近昌仲三成に勸めけるは、秀家、秀詮も兩端を持するにや、覺束無く候。佐和…
- p01…あらじ。居ながら可惜圖を外さん事口惜しく候、と言ひけれども、三成は景勝と相策りしゆゑ、昌仲が謀畧を納れずして止みぬ。三成旣に…
- p01…も、三成は景勝と相策りしゆゑ、昌仲が謀畧を納れずして止みぬ。三成旣に佐和山に赴くに及んで、七人の大將猶憤深かりしかば、道に俟…
- p01…仰せあり。正信熟々思慮して、今日本を取つて德川家に獻ずる者は石田にてこそ候へ。其の故は、三成奸曲ある故人々惡みて候へども、又…
- p01…今日本を取つて德川家に獻ずる者は石田にてこそ候へ。其の故は、三成奸曲ある故人々惡みて候へども、又三成に與する者も多く、容易く…
- p01…にてこそ候へ。其の故は、三成奸曲ある故人々惡みて候へども、又三成に與する者も多く、容易く打亡し難し。故に言を禮儀に託し、手を…
- p01…を禮儀に託し、手を德川家に借りて亡さばやと存ずる人々候へば、三成今ほろびて後悉く平均に歸せんや。諸將外には殿を敬すと雖も、內…
- p01…を伺ふ人も候はん。故太閤の恩を得たる豪雄秀賴に背くに忍びず。三成を憎むの心を移して殿に懷き申すべし。三成有らば殿を敬し重んぜ…
- p01…秀賴に背くに忍びず。三成を憎むの心を移して殿に懷き申すべし。三成有らば殿を敬し重んぜん事愈厚かるべし。三成久しく人の下に屈む…
- p01…殿に懷き申すべし。三成有らば殿を敬し重んぜん事愈厚かるべし。三成久しく人の下に屈むべき者に候はねば、頓て弓箭を取るべき事掌の…
- p01…下に屈むべき者に候はねば、頓て弓箭を取るべき事掌の中に有り。三成敵とするに足らんや。其時三成に打勝ち給ひなば、殿自然に勢を得…
- p01…て弓箭を取るべき事掌の中に有り。三成敵とするに足らんや。其時三成に打勝ち給ひなば、殿自然に勢を得させ給ひて、誰か靡き從はで候…
- p01…て、誰か靡き從はで候べき。日本三分の二は殿に歸服すべく候。只三成に御心を附けられ、暫く彼を立て置かれ候こそ然る可からめ、と申…
- p01…て置かれ候こそ然る可からめ、と申しけるを聞し召し入れられて、三成が旅程心許なし、とて結城秀康卿をもて送らせ給ひけり。…
東照宮花房助兵衞に起請文を書けと仰せられし事 卷之十二 · 1
- p01…東照宮景勝征伐の御時小山にて、石田兵を西國に起せる告を聞し召し、前には景勝が勇將なるあり。西國…
下野國小山にて上杉入庵議論の事 卷之十二 · 7
- p01…二十四日、東照宮下野國小山に御著陣ありける處に、其日伏見より石田三成佐和山を出でて大坂に至り、諸大名と相謀り、亂を起すの旨告げ奉…
- p01…東條法印、津田小平太、本多中務大輔、井伊兵部少輔を以て、今度三成兵を擧ぐる間、定めて妻子達を悉く押籠むべし。心中の難義察せら…
- p01…の恩を請けたる人々多ければ、疾く大坂に赴き妻子の形附け、又は三成に心を寄せられんも少も遺恨に非ず、と仰出されけり。皆疑惑や有…
- p01…則、加藤嘉明、黑田長政に向ひ、各思慮にも及ぶ可からず。人質を三成に出し置き、只今御味方申して其質を棄てば、妻子の恨世の誹も遁…
- p01…ば、妻子の恨世の誹も遁る可からず。秀賴公へ出し置きたる人質を三成橫取にしたるなれば、三成と一戰に及ぶとも妻子の恨世の誹も有る…
- p01…可からず。秀賴公へ出し置きたる人質を三成橫取にしたるなれば、三成と一戰に及ぶとも妻子の恨世の誹も有る可からず。人は兎もあれ我…
- p02…又一說に、一座未だ兎角を申さゞる處に、福島正則、何とて石田に從ひて弓箭を取らんや。秀賴公に疎遠だに御座しまさずば、神明…
上杉景勝會津表手配の事 卷之十二 · 1
- p01…、東照宮の御旗本に切つて入り、萬死一生の軍せんと謀られしに、石田兵を起すの由聞えて、東照宮宇都の小山より引返させ給ひけり。…
伊達政宗膽氣相馬の城下に宿せられし事 卷之十二 · 1
- p01…亡ぶべきに極る。政宗訴へ申されしは、相馬は年比政宗が仇なり。石田、上杉に與したるが一定ならんには、政宗彼が爲に討たるべし。然…
後藤又兵衞決斷の事 卷之十三 · 1
- p01…しに、犬山の城明退きける故、岐阜を指して打向ふ所に、大垣より石田、島津一萬餘打出でて押來る。頃しも八月雨の後、合渡川水嵩增り…
合渡川合戰黑田三左衞門毛附の功名の事 卷之十三 · 1
- p01…上り、遂に彼の武者を切つて落し、首に指物を添へて得たりけり。石田が物ぬし村山利介といへる剛の者なり。可成が此功を、昔より毛附…
春日九兵衞見積の事 卷之十三 · 1
- p01…心有る人の候。陣所の有樣必定味方敗北すべし。陣替せられよ、と三成に勸むれども是を用ひず。果して敗れたり。…
秀家夜討せんといはれし事 卷之十三 · 1
- p01…陣を秀家見て、敵の陣所あさまに見ゆ。夜討せん、と言はれしに、三成、斯る大軍にて夜軍は利無きものなり、とて止みけるを、秀家後ま…
株瀨川合戰の事 卷之十三 · 2
稻次右近功名の事 卷之十三 · 2
淺香庄次郞働の事 卷之十三 · 4
林半介殿の事 卷之十三 · 2
伊藤金左衞門三宅平大夫後殿の事 卷之十三 · 2
毛屋主水物見の事 卷之十三 · 1
- p01…軍の勝負を計りて、己が身に懸けて軍に志し候兵は幾程も候はず。石田、小西等が賴切つたる者共、彼是合せて一萬許に過ぎ候まじ。一陣…
關ケ原合戰島左近討死の事 卷之十三 · 5
- p01…黑田長政はもとより石田と不和なりしかば、關ヶ原合戰の前選り立てたる士十五騎、明日の…
- p01…五騎、明日の軍に拔懸す可からず。吾が馬の廻に引添ひて軍せよ。石田と手を取組みて討取らんと用意せられけり。石田が陣の前に柵あり…
- p01…引添ひて軍せよ。石田と手を取組みて討取らんと用意せられけり。石田が陣の前に柵あり。島左近昌仲左の手に鎗を取り、右の手に麾を執…
- p01…て撰に合ひ、長政の側に有りて軍しける人々集りて閑話しけるが、石田が士大將、鬼神をも欺くと言ひける島左近が其日の有樣、今も猶目…
- p01…事を言ひ出して更に定かならず。人々口々に言ひしかば、其軍の頃石田が方に有りける士の筑前に仕へけるを、三人呼寄せて問ひければ、…
蒲生備中父子戰死の事 卷之十三 · 5
- p01…蒲生備中眞令は石田が內にて聞ゆる勇將なり。關ヶ原の前軍評定の時、眞令、明日は偏…
- p01…ば復御目見致さじ、とて座を立ちけり。眞令元より敗軍を覺りて、三成に必死を究めし詞を出したり。斯て關ヶ原にて只一騎三成が陣に乘…
- p01…覺りて、三成に必死を究めし詞を出したり。斯て關ヶ原にて只一騎三成が陣に乘行きて何事にかいひけるに、三成打頷く。眞令駈歸り、競…
- p01…。斯て關ヶ原にて只一騎三成が陣に乘行きて何事にかいひけるに、三成打頷く。眞令駈歸り、競ひ懸る敵に向ひて散々に戰ひけるが、織田…
- p01…戰ひけるが、織田長益に合ひて、昔は蒲生の家にて橫山喜內、今は石田が內にて蒲生備中とて人に知れたる者なり、といへば、長益、神妙…
大谷吉隆平塚爲廣最後合戰和歌贈答の事 卷之十三 · 8
- p01…大谷刑部少輔吉隆は、會津征伐に從はんとて兵を出さんとせしに、石田三成より樫原彥右衞門を使にて、强て佐和山の城に來られよ。密に評議…
- p01…思へども是非を論ぜず强ひければ、止事を得ずして佐和山に至る。三成悅んで、今度關東を討亡すべき謀をぞ語りける。大谷驚きて、故太…
- p01…座しましき。今德川家を打亡さん事思ひも寄らず、と言ひければ、三成、我上杉景勝と計りて景勝旗を揚げられたり。其約を變じて景勝一…
- p01…思慮すべき事二つ有り。申出して見ん、用ひらるゝや、と言へば、三成、如何で所存を防ぐべき、と悅びしかば、大谷が曰く、世の人石田…
- p01…三成、如何で所存を防ぐべき、と悅びしかば、大谷が曰く、世の人石田殿をば無禮なりとて、末々に至りても快からず言合へり。江戶の內府…
- p01…大方ならず、是一つ。次に大事は智勇の二つならでは遂げ得難し。石田殿は智有りて勇足ざるかと存じ候。今度毛利、浮田も皆假に同意した…
- p01…事は候はじ、とて伊益の驛に至り平塚に告ぐれば、平塚大に驚き、三成志大なりと雖も大軍を率うべき將畧なし。然るに斯く與せられしは…
- p01…ふべし。然れども旣に許諾せられたれば如何とも爲べからず、とて三成が送り來りし使者には、心得候、とぞ答へける。吉隆敦賀に歸りし…
辻小作中黑道隨が事 卷之十三 · 1
- p01…、可兒才藏と親しみ深く、共に世に聞えたりし物なり。中黑道隨は石田賓客の如く遇し置きけり。關ヶ原の軍敗れし時、中黑唯一騎落行く…
細川忠興の北の方義死の事 卷之十四 · 1
- p01…とて懷に匕首を用意せられけり。此より秀吉の惡行は止みてけり。石田西國の諸將を談ひて兵を起す時、諸大名の北の方を大坂城中に取入…
安養寺門齋三成を生捕らんとせし事附姉川合戰の時門齋生捕られし事竝遠藤喜右衞門討死の事 卷之十四 · 7
- p01…三成兵を起す時、大津の城に入りて京極高次に對面し、彌秀賴公の味方…
- p01…申しける。高次の士に安養寺門齋と云ひし者、黑田伊豫に向ひ、今三成城中に入る事誠の天の與ふる處なり。搦め取りて關東に奉らん、と…
- p01…の與ふる處なり。搦め取りて關東に奉らん、と云ふ。黑田聞きて、三成を生捕るとも、西國の諸將大軍にて攻圍むべし。爭か防ぐ術の有る…
- p01…攻圍むべし。爭か防ぐ術の有る可き、とて聞入れず。門齋冷笑ひ、三成は譬へば亂の首なり。其餘は手足の如し。首を碎く程ならば、手足…
- p01…の恐の候べき。假令押寄せ候とも固く守りて戰ふべし。軍せずして三成を生捕るならば、天下に名を揚げ勳功誰か並ぶべき。吾年老ぬれど…
- p01…を生捕るならば、天下に名を揚げ勳功誰か並ぶべき。吾年老ぬれど三成を搦めん事は容易からん、とて今村掃部をも勸めしかども、爭論に…
- p01…は容易からん、とて今村掃部をも勸めしかども、爭論に時移りて、三成城を出でにけり。門齋は元淺井長政に仕へ、姉川の軍に生捕れ、龍…
大津城合戰京極家の士戰功の事附赤尾伊豆が事 卷之十四 · 1
- p01…より歸られし時、尾關を近づけ夜酒を酌みて密に囁かれけるは、吾石田に與するに非ず。歸りて大津の城を守らんと思ふなり。敵の眞中に…
高次大津の城を出でられし事 卷之十四 · 1
- p01…り高野に赴く。關ヶ原記に三井寺に立寄るといへるは謬なり三成亡びて後、東照宮高次を召しけるに、今度諸將皆大功有りし人々な…
伏見落城の事附鳥居忠政雜賀孫市を饗されし事 卷之十四 · 2
三刀谷監物田邊城に籠る事 卷之十四 · 3
古田助左衞門思慮の事 卷之十四 · 1
- p01…。景勝を征伐の時、重勝伊勢の松坂の城に助左衞門を置かれけり。三成兵を起せし時、大坂の重勝の屋敷を取圍み、松坂の城を渡さずば重…
石田三成生捕らるゝ事 卷之十五 · 22
- p01…田中兵部大輔吉政、石田を生捕にせられしが、いと懇に會釋して數十萬の軍兵を率ゐられし…
- p01…軍の勝敗は天の命に候へば力に及び難し、と禮儀正しかりければ、三成打笑ひ、…
- p02…三成此時坐上の檻に倚りかゝり、元より田兵と呼びしが如く、此時も田…
- p05…田中、石田を引具して大津に參りければ、東照宮、本田正純に石田を守護すべ…
- p05…田中、石田を引具して大津に參りければ、東照宮、本田正純に石田を守護すべき由仰出されけり。正純、石田に向ひて、秀賴公年若く…
- p05…ば、東照宮、本田正純に石田を守護すべき由仰出されけり。正純、石田に向ひて、秀賴公年若く事の是非を知召さじ。唯太平を致す道こそ…
- p05…きに、由なき軍起して斯く恥辱にも及ばれしぞかし、と云ひしに、三成、吾土民より國を賜ひたる恩譬へん樣なし。世の樣を見るに、德川…
- p05…されしかな。軍敗れて自害もせで搦められしは如何に、と言ふに、三成忿つて、汝は武畧は露も知らざりき。腹切つて人手に懸らじとする…
- p06…東照宮の御前へ三成を召出して、如何に武將も斯る事昔より有るためしなり。恥に非ず…
- p06…將も斯る事昔より有るためしなり。恥に非ず、と仰せられしかば、三成氣色打解けて、唯天運の然らしむる處にて候。疾々首を刎ねられ候…
- p06…の然らしむる處にて候。疾々首を刎ねられ候へ、と申す。東照宮、三成はさすがに大將の器量なりけるよ。平宗盛には大に異なり、と仰せ…
- p06…は大に異なり、と仰せ有りけるとも言へり。又一說、中納言秀詮、石田が體を見ばやとて座を立たれしに、細川忠興、何でふ益無き事なり…
- p06…たれしに、細川忠興、何でふ益無き事なり、と言へども聞入れず。三成、秀詮を見て、我汝が二心有るを知らざりしは愚なり。されども約…
- p06…までも語り傳へて笑ふべし、と云ひけるに、秀詮詞無かりけり。又三成大津に到る時、御本陣の門外に疊を敷き其上に坐したりしに、諸將…
- p06…ぎけるが、福島正則無益の亂を起して其有樣なり、と言はれしに、石田、おのれを生捕りて縛らざりしは天運なり、と云ひければ、正則ち…
- p07…石田を始め小西、安國寺生捕れて、三人の肌に木綿の破れたるものを著…
- p07…捕れて、三人の肌に木綿の破れたるものを著たるを東照宮聞召し、石田は日本の政務を取りたる者なり。小西も宇土の城主なり。安國寺亦…
- p07…與ふる事吾恥なるべし、と仰せ有りて、三人に小袖を賜はりけり。石田に見すれば、之は誰が與へたるぞ、と問ふ。江戶の上樣より、と言…
- p07…より、と言へば、それは誰が事ぞ、といふ。德川殿、と答ふれば、三成、何德川殿を尊ぶべき、とて一言の禮に及ばず、冷笑ひて居たりけ…
- p08…て淚を落しけり。安國寺は兎角言はで赤面し俯き居たりけるとぞ。三成を誅する時車に載せて六條河原に出すに、石田顏色平生の如くなり…
- p08…き居たりけるとぞ。三成を誅する時車に載せて六條河原に出すに、石田顏色平生の如くなりしとかや。又石田治部が天下を取つたると云ひ…
- p08…に載せて六條河原に出すに、石田顏色平生の如くなりしとかや。又石田治部が天下を取つたると云ひけるを聞きて打笑ひ、我大軍を率ゐ天下分…
小幡助六郞忠死の事 卷之十五 · 7
- p01…三男にて上野の人なり。十五歲にて大坂に赴き諸家の體を見るに、石田は太閤無二の寵臣なれば仕へけり。後祿二千石を與へけり。關ヶ原…
- p01…閤無二の寵臣なれば仕へけり。後祿二千石を與へけり。關ヶ原にて三成敗北の時、押隔てられ三成に從はず。其處を切り脫けて三成が行方…
- p01…り。後祿二千石を與へけり。關ヶ原にて三成敗北の時、押隔てられ三成に從はず。其處を切り脫けて三成が行方を尋ね、江州石山に來りし…
- p01…原にて三成敗北の時、押隔てられ三成に從はず。其處を切り脫けて三成が行方を尋ね、江州石山に來りしを、鄕民搦め捕りて大津に參る。…
- p01…。百姓をば賞せられて金二十枚を賜はりぬ。さて信世を召出され、石田が行方を問はせ給ふ。信世承り、三成が士小幡助六と申す者にて候…
- p01…りぬ。さて信世を召出され、石田が行方を問はせ給ふ。信世承り、三成が士小幡助六と申す者にて候。主の在所能く知りて候。然れども年…
- p01…試に拷問有れ、と申し切つてけり。東照宮聞召し、忠義の士なり。三成が行方努々知りたるに非ず。知らざる故にこそ落行きて搦められた…
加藤淸正の北の方大坂を忍び出でられし事 卷之十五 · 2
加藤淸正治亂を論ぜられし事 卷之十五 · 1
- p01…關ヶ原の後、東照宮、石田が亂は雨降りて地固まるといふに同じ。此より靜謐ならん、と仰せ…
黑田如水豪氣の事 卷之十五 · 1
- p01…後の浪人共相集り大軍に成りし時、嫡子長政の使來り、關ヶ原にて石田を始め敗北し、金吾中納言秀詮は、長政の謀によりて裏切せられし…
佐竹義宣國替の事竝車野丹波が事 卷之十六 · 5
- p04…、永井右近大夫直勝承りて、如何なる故にや、と申すを聞し召し、石田治部と七人の大名と大坂にて爭論の時、義宣と三成と元より親有りし故…
- p04…すを聞し召し、石田治部と七人の大名と大坂にて爭論の時、義宣と三成と元より親有りし故、三成を打具し伏見に來り、其後三成佐和山に…
- p04…七人の大名と大坂にて爭論の時、義宣と三成と元より親有りし故、三成を打具し伏見に來り、其後三成佐和山に歸る時、七人の面々道にて…
- p04…、義宣と三成と元より親有りし故、三成を打具し伏見に來り、其後三成佐和山に歸る時、七人の面々道にて討取るべしと言ふ由を聞き、三…
- p04…道にて討取るべしと言ふ由を聞き、三河守を添へたりしに、義宣、三成を討たせては生甲斐無しとて道々に物聞を出し、其身は物具して、…
杉原常陸智勇の事 卷之十六 · 2
石田が子の僧助命の事 卷之十六 · 4
眞田昌幸父子三人始末の事 卷之十七 · 6
- p03…ば、大谷吉隆に申して次男信仍を秀吉の許に人質に出しけり。其後石田兵を起すの時、眞田父子三人は奧州に打向ふ途中に、石田が使來り…
- p03…り。其後石田兵を起すの時、眞田父子三人は奧州に打向ふ途中に、石田が使來りて、秀賴公の爲に旗を擧げ候。同心せられなば信州に故主…
- p04…又一說に、本多と親しみ厚く候へば、石田に與し難き由を信之申せしかば、弟の信仍女房の好に引かれ、父に…
- p04…、武名を世に擧げしかば、豐臣家の恩淺しと言ふべからず。唯疾く石田に同心有りて然るべし。凡家の亡ぶべき時、人の死すべき時至らば…
- p06…城を守り候。攻められば一矢仕らん、と答へしかば、又御使にて、石田、小西等己が威權を恣にせんが爲に斯る企に及べり。豐臣家の恩を…
- p10…必ず然らんと思ひしに、果して違はざりけり、とぞ仰せられける。石田が軍敗れしかば眞田父子を誅せられん處に、信之、此度父と引分れ…
大久保忠隣忠直の事 卷之十八 · 3
黑田如水遺言の事 卷之十八 · 1
- p01…汝に勝る其一つなり。次に我は無雙の博奕の上手なり。關ヶ原にて石田今暫く支へたらば、筑紫より攻登り、下部のいふ勝相撲に入りて日…
福島正則領國を召放さるゝ始末の事 卷之十九 · 1
- p08…と言はれし者なり。關ヶ原の時尾州淸洲の城に大崎を置かれけり。石田三成大垣の城に入りて、使を以て、福島家は太閤の恩篤き人なれば、今…
郡主馬が事 卷之二十二 · 2
永田治兵衞功名の事附樫井合戰の事 卷之二十三 · 1
- p01…、といふに、答ふる人無かりけり。又上田主水は宗古といひしが、石田に與して淺野幸長に預け置かれしが、茶の湯を弄びける故、殿の國…
高麗攻南大門合戰物語の事 拾遺 卷之一 · 1
- p01…一戰して相果つべく蹈止り給ひけるを、惣大將備前中納言秀家卿、石田治部少輔三成、增田右衞門尉長盛、大谷刑部少輔吉隆より飛脚を以て、早々都へ…
關ケ原御一戰御勝利稻次右近高名の事 拾遺 卷之二 · 17
- p01…月十五日其前日晝前に、大御所は赤坂へ御著陣被遊候。晝時分に石田三成方より島左近、蒲生備中大將にて杭瀨川を越え、刈田誘引を掛け、…
- p01…石取一氏姪聟三間計の鳥毛の棒の指物にて陣所の塀を跳越え、治部が勢へ掛合ひ、三人鎗附候を鐵炮にて打倒し候。竹田が討たれ候を…
- p01…出し候。野一色賴母金の三幣さしもの藪內匠推續き懸り候。治部方には水野庄次郞後號淺香左馬介林半介治部が使番伊…
- p01…續き懸り候。治部方には水野庄次郞後號淺香左馬介林半介治部が使番伊前賴母などかれこれ五百餘進み候。備前勢には明石掃…
- p01…石領す本田對馬守兩大將に稻葉助之丞不破內匠等、八百餘出候。石田が物頭島左近、蒲生備中、伏兵を木戶一色村の藪に伏置きて引き候…
- p01…候。野一色賴母は、金の三幣の指物にて馬を引返し數度戰ひ候を、治部少輔が內海北市郞右衞門鐵炮にて打ち申し候。賴母炮に當り馬より落ち…
- p01…其組子松村淸助、賴母が死體の綿嚙を取りて引ずり退き候へども、治部人數附立候故、賴母表帶を切り、刀脇差ばかり取りて退き申候。後…
- p01…差ばかり取りて退き申候。後にて賴母首は富村と申す兵取り申候。治部方多勢追重り候故、中村家人、中村新介、河毛新八、同次郞、原田…
- p01…左兵衞は川中にて立合ひ防戰ひ候。鎗手二ヶ所負ひ退きかね候を、石田が兵共追附候。吉田左太夫返合せ追拂ひて甘利を退け候。中村並の…
- p01…右近鳥毛半月さしもの、岡本五郞右衞門眞先に進みて川を乘渡し、治部力の勢中村敗軍を追來り候。出合頭に致候。稻次右近馬を岸へ乘上…
- p01…て切懸り、遂に大垣方を切崩し、夫より敵味方入交り競合候。此時治部少輔が兵水野庄次郞鼦の皮の羽織、銀の大釘の立物の冑にて乘來り、中…
- p01…衣の者梅田大藏が手負ひて引兼ね候を、首を取り、大柿へ乘返り、三成隅矢倉に居候下へ參り、水野庄次郞にて御座候。高名仕候間御勘當…
- p01…庄次郞にて御座候。高名仕候間御勘當御免下され候へ、と呼り候。治部少輔、如何にも心得たり。高名も見屆候間先手を賴み候。早々參り引取…
- p01…けて多勢にて懸り候故、秀家內稻葉助之丞金切さきさしもの治部が使番林半助乘下り〱殿仕候。明石掃部も堤を傳ひ乘上げ、馬に輪…
- p02…到り、中村が兵士を引取らせ、忠勝は後殿して退きけるに、秀家、三成兩家の兵士猶喰留めんと勇みけれども、本多が繰引の列伍亂れざる…
- p02…扣へけるが、秀家の軍士稻葉助之丞金切さき枝釣の背旗さす三成家人林半助白しなひ指しもの兩人諸兵に先達て進み來り、忠…
- p03…を使ふ樣に下知して引取り候。能見物なり、と人々申し候。秀長、三成人數も漫々と棚引大垣城へ引入れ、其勢の內に白しなひ差したる武…
同役岐阜落城の事 拾遺 卷之二 · 5
- p01…不合ことを憤り、さらば大坂の城を攻めん、とて進み行く。此時石田三成、浮田秀家、島津義弘、小西行長、其勢二萬許、岐阜の落城せし事…
- p01…聞、後援の爲軍を發す。呂久合渡の邊にて行合ふ。田中先登して三成が兵を討つ。三成が先鋒敗したり。義弘此時三成へ軍使を遣して、…
- p01…を發す。呂久合渡の邊にて行合ふ。田中先登して三成が兵を討つ。三成が先鋒敗したり。義弘此時三成へ軍使を遣して、先陣少し敗したれ…
- p01…ふ。田中先登して三成が兵を討つ。三成が先鋒敗したり。義弘此時三成へ軍使を遣して、先陣少し敗したれども後陣猶戰ふに餘あり。敵は…
- p01…りて橫樣に突かば大利あらん。疾く兵を進められよ、と言へども、三成不聽して、岐阜已に陷り候へば、是を攻めたる勢續き可來。今…
同役石田三成浮田秀家が諫を用ひざる事 拾遺 卷之二 · 2
同御合戰毛利秀元戰場にて東方へ返る事 拾遺 卷之二 · 1
- p01…たり筑前中納言陣松尾山と、內府公御旗本其間三十町に足らず。石田三成陣と公の御旗本と其間三十五町に、敵方東軍の旗先を見かけて則ち…
同御合戰終り御詮議の事 拾遺 卷之二 · 1
- p01…同役に、家康公御合戰終り、御詮議、石田が陣場に池村柵より東にて討取る首は、高名其品輕重あり。柵を西…
岐阜攻の時川々洪水によつて後藤又兵衞尋問の事 拾遺 卷之四 · 1
- p01…城に、長政、高虎等殘念に思はる所へ、岐阜後詰として、大垣より石田三成、島津義弘、小西行長二萬餘にて合渡川迄押來る。長政、吉政、高…
家康公慶長五年七月會津御發向の事 拾遺 卷之四 · 1
- p01…家康公白川へ御著陣候はば、御大事に罷なるべく候所に、上方にて治部少輔を始め、五畿內西國一圓に亂れ伏見へ取懸り候由、家康公小山より…
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