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○三刀谷監物田邊城に籠る事

卷之十四 第9話 · 段落 1 · NDL 1078984 241コマ L

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三刀谷監物孝和は其先祖承久の亂に軍功有りて、出雲の三刀谷の鄕を賜はりけるによりて氏としたり。其末雲州尼子の旗下に屬しけり。孝和が父彈正左衞門久扶、毛利家に奉公しけるが、後仕を止めて終りぬ。孝和は吉田兼治に賴りて吉田に居たりしを、關ヶ原の時安國寺、北村五郞右衞門を使にして招きけれども聞入れず。細川幽齋の丹後田邊の城に行きて力を合せんとす。從者共、奧州は大國なり、景勝は勇將なり。如何で容易く破るべき。西國一同に石田に與し候ひぬ。德川家の危き事近きに候に、何とて安國寺が招を辭み給ふぞ、と云ひけるに、孝和聞きて、石田、島津に叛かせ、內府を引附け軍を起させ、後にて京大坂を取り占めん謀こそ然るべけれ。德川家の領國其便よき會津に手始をしたるは無謀なり。三成必定勝つべからず、とて吉田家は幽齋と緣者たりしかば田邊に行きて。大敵に圍れしかども、持ち堪へしは偏に孝和が智勇逞しかりける故なり。