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○小幡助六郞忠死の事

卷之十五 第5話 · 段落 1 · NDL 1078984 248コマ L

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小幡助六郞信世は、上野介信繁が三男にて上野の人なり。十五歲にて大坂に赴き諸家の體を見るに、石田は太閤無二の寵臣なれば仕へけり。後祿二千石を與へけり。關ヶ原にて三成敗北の時、押隔てられ三成に從はず。其處を切り脫けて三成が行方を尋ね、江州石山に來りしを、鄕民搦め捕りて大津に參る。百姓をば賞せられて金二十枚を賜はりぬ。さて信世を召出され、石田が行方を問はせ給ふ。信世承り、三成が士小幡助六と申す者にて候。主の在所能く知りて候。然れども年比恩を請けたる身の、今日の難を遁れん爲に主の在所を申す不義や候。假令骨を拉がるるとも固く申すまじきにて候。試に拷問有れ、と申し切つてけり。東照宮聞召し、忠義の士なり。三成が行方努々知りたるに非ず。知らざる故にこそ落行きて搦められたれ。士程の者を拷問に及ぶべからず。將たる人は忠臣義士に不憫をこそ加へめ。疾く繩を解け、と仰せ有りて則ち赦させ給ひけり。信世近き邊の寺に行き、其由細々と語り、思はざる外に赦を蒙りたれども、亦恥に遭はんも計り難し。屍を匿し給はれ、とて自害しけるを大津に申し上げければ、殊の外に惜ませ給ひけり。