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○石田三成生捕らるゝ事

卷之十五 第4話 · 段落 8 · NDL 1078984 246コマ L

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田中兵部大輔吉政、石田を生捕にせられしが、いと懇に會釋して數十萬の軍兵を率ゐられし事、智謀の由々しき事と申すべし。軍の勝敗は天の命に候へば力に及び難し、と禮儀正しかりければ、三成打笑ひ、
秀賴公の御爲に害を除き、太閤の恩に報い奉らんと思ひしに、運盡き斯くなりし事何をか悔むべき。是は太閤より賜はりし切刃正宗の脇差なり。形見に進すよ、とて與へけり。
馳走の士を附けてもてなしたれども、片時も早く死んとて食せず。馳走の士如何で兵部が計ひに及ぶべき。能く勞りて最後の御用意候へかし、と言ひければ、さらば此頃腹中の惡しきに韮雜水を賜へ、と云ひしかば、其設して進めければ、快く食して打伏して鼾かきたり。
田中、石田を引具して大津に參りければ、東照宮、本田正純1に石田を守護すべき由仰出されけり。正純、石田に向ひて、秀賴公年若く事の是非を知召さじ。唯太平を致す道こそ有るべきに、由なき軍起して斯く恥辱にも及ばれしぞかし、と云ひしに、三成、吾土民より國を賜ひたる恩譬へん樣なし。世の樣を見るに、德川殿を打亡さずば遂に豐臣家の爲によからじと思ひて、秀家、景勝を始として同心無かりしを、强ひて勸めて遂に此軍をば起したりき。戰に臨んで二心有る輩裏切せし故、勝つべき軍に打負けぬるこそ口惜しけれ。二心有る人だに無くば、汝達を始め斯の如く搦めなんに、志を失ひたるよ。運盡きぬれば九郞判官も衣川にて空しくなりたりき。吾打負けしは天命なり、と言ふ。正純、智將は人情を計り時勢を知るとこそ申せ。諸將の同心せざるも知らず。輕々しうも軍を起されしかな。軍敗れて自害もせで搦められしは如何に、と言ふに、三成忿つて、汝は武畧は露も知らざりき。腹切つて人手に懸らじとするは葉武者の事よ。賴朝公土肥の杉山にて、朽木の洞に身を潛めし心はよも知らじ。大庭に搦められなば汝に嘲らるべし。大將の道は語るとも汝が耳には入らじ。今は是迄なり、とて物も言はず。
  1. 誤植 — 底本「本田」。「本多」の誤植か(振り仮名「ほんだ」。他の箇所は「本多上野介正純」)。
東照宮の御前へ三成を召出して、如何に武將も斯る事昔より有るためしなり。恥に非ず、と仰せられしかば、三成氣色打解けて、唯天運の然らしむる處にて候。疾々首を刎ねられ候へ、と申す。東照宮、三成はさすがに大將の器量なりけるよ。平宗盛には大に異なり、と仰せ有りけるとも言へり。又一說、中納言秀詮、石田が體を見ばやとて座を立たれしに、細川忠興、何でふ益無き事なり、と言へども聞入れず。三成、秀詮を見て、我汝が二心有るを知らざりしは愚なり。されども約に違ひ義を棄て、人を欺きて裏切したるは武將の恥辱、末の世までも語り傳へて笑ふべし、と云ひけるに、秀詮詞無かりけり。又三成大津に到る時、御本陣の門外に疊を敷き其上に坐したりしに、諸將打過ぎけるが、福島正則無益の亂を起して其有樣なり、と言はれしに、石田、おのれを生捕りて縛らざりしは天運なり、と云ひければ、正則ち詞2無く過ぎられぬ。黑田長政通られしに馬より下りて、不幸にて斯くなり給ひぬ。是を、とて著られし羽織を脫いで著せられたりと言へり。
  1. 誤植 — 底本「正則ち詞無く」(「正」は前の列)。「ち」は衍字か(続帝国文庫本は「正則詞なく」)。
石田を始め小西、安國寺生捕れて、三人の肌に木綿の破れたるものを著たるを東照宮聞召し、石田は日本の政務を取りたる者なり。小西も宇土の城主なり。安國寺亦賤むべき者に非ず。軍敗れて身の置處無き姿となるも、大將の盛衰は古今に珍しからず。命を猥に棄てざるは將の心とする所、和漢其例多し。更に恥辱に非ず。其儘京中を渡しなば、將たる者に恥を與ふる事吾恥なるべし、と仰せ有りて、三人に小袖を賜はりけり。石田に見すれば、之は誰が與へたるぞ、と問ふ。江戶の上樣より、と言へば、それは誰が事ぞ、といふ。德川殿、と答ふれば、三成、何德川殿を尊ぶべき、とて一言の禮に及ばず、冷笑ひて居たりけり。
小西は、敵對の吾に是迄の勞心に恥ぢたり、とて淚を落しけり。安國寺は兎角言はで赤面し俯き居たりけるとぞ。三成を誅する時車に載せて六條河原に出すに、石田顏色平生の如くなりしとかや。又石田治部が天下を取つたると云ひけるを聞きて打笑ひ、我大軍を率ゐ天下分目の軍しけることは、天地破れざる間は隱れ有らじ。些とも心に恥づる事無きよ。囃さずしても有りなん、と言ひけるとぞ。