○石田三成生捕らるゝ事
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馳走の士を附けてもてなしたれども、片時も早く死んとて食せず。馳走の士如何で兵部が計ひに及ぶべき。能く勞りて最後の御用意候へかし、と言ひければ、さらば此頃腹中の惡しきに韮雜水を賜へ、と云ひしかば、其設して進めければ、快く食して打伏して鼾かきたり。
田中、石田を引具して大津に參りければ、東照宮、本田正純1に石田を守護すべき由仰出されけり。正純、石田に向ひて、秀賴公年若く事の是非を知召さじ。唯太平を致す道こそ有るべきに、由なき軍起して斯く恥辱にも及ばれしぞかし、と云ひしに、三成、吾土民より國を賜ひたる恩譬へん樣なし。世の樣を見るに、德川殿を打亡さずば遂に豐臣家の爲によからじと思ひて、秀家、景勝を始として同心無かりしを、强ひて勸めて遂に此軍をば起したりき。戰に臨んで二心有る輩裏切せし故、勝つべき軍に打負けぬるこそ口惜しけれ。二心有る人だに無くば、汝達を始め斯の如く搦めなんに、志を失ひたるよ。運盡きぬれば九郞判官も衣川にて空しくなりたりき。吾打負けしは天命なり、と言ふ。正純、智將は人情を計り時勢を知るとこそ申せ。諸將の同心せざるも知らず。輕々しうも軍を起されしかな。軍敗れて自害もせで搦められしは如何に、と言ふに、三成忿つて、汝は武畧は露も知らざりき。腹切つて人手に懸らじとするは葉武者の事よ。賴朝公土肥の杉山にて、朽木の洞に身を潛めし心はよも知らじ。大庭に搦められなば汝に嘲らるべし。大將の道は語るとも汝が耳には入らじ。今は是迄なり、とて物も言はず。
- 誤植本田正純 — 底本「本田」。「本多」の誤植か(振り仮名「ほんだ」。他の箇所は「本多上野介正純」)。
東照宮の御前へ三成を召出して、如何に武將も斯る事昔より有るためしなり。恥に非ず、と仰せられしかば、三成氣色打解けて、唯天運の然らしむる處にて候。疾々首を刎ねられ候へ、と申す。東照宮、三成はさすがに大將の器量なりけるよ。平宗盛には大に異なり、と仰せ有りけるとも言へり。又一說、中納言秀詮、石田が體を見ばやとて座を立たれしに、細川忠興、何でふ益無き事なり、と言へども聞入れず。三成、秀詮を見て、我汝が二心有るを知らざりしは愚なり。されども約に違ひ義を棄て、人を欺きて裏切したるは武將の恥辱、末の世までも語り傳へて笑ふべし、と云ひけるに、秀詮詞無かりけり。又三成大津に到る時、御本陣の門外に疊を敷き其上に坐したりしに、諸將打過ぎけるが、福島正則無益の亂を起して其有樣なり、と言はれしに、石田、おのれを生捕りて縛らざりしは天運なり、と云ひければ、正則ち詞2無く過ぎられぬ。黑田長政通られしに馬より下りて、不幸にて斯くなり給ひぬ。是を、とて著られし羽織を脫いで著せられたりと言へり。
- 誤植則ち詞 — 底本「正則ち詞無く」(「正」は前の列)。「ち」は衍字か(続帝国文庫本は「正則詞なく」)。