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○伏見落城の事附鳥居忠政雜賀孫市を饗されし事

卷之十四 第7話 · 段落 2 · NDL 1078984 239コマ R

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會津に向はせ給ふ時、伏見の城には、本丸に鳥居彥右衞門元忠、二の丸には松平主殿頭家忠、松平五左衞門、松の丸には內藤彌次右衞門家長を置かせ給ひ、六月十六日東照宮打立ち給ひ、十七日伏見の城にて鳥居を召し、今度士卒少くして殘り止る事を仰せ有りしに、元忠、臣が存ずる所會津は强敵なり。一人なり共召具せられて然るべし。伏見には臣一人にて事足り候。世上無事ならずして變の出來ん時は、近國に援ふべき味方も候はず。今の十倍の軍兵を殘し置かれたりとも防ぐべきやうは候はず、と申しけるに、東照宮默して御座せしが、稍有りて、駿州宮ヶ崎にて十一に成りし時、彥右衞門は十三にて初て出でたりしよ。年久しくもなりぬ、とて御物語に夜いたく深けければ、元忠會津の御留守世に變なく候ひなんには、復御目見も仕りなん。若し事有らば今夜ぞ永き御別にて候、と申して座を立兼ねたりしに、東照宮御袖をもて落つる泪をおそひてぞ御座しましける。斯くて石田兵を起せしかば、伏見を攻むべきや、と評定しけるに、增田長盛、城固うして而も內府の內に名高き者共あれば、容易く落つべからず。先謀りて見ん、とて山川半平を使にしけり。元忠對面すれば、增田が申し候には、今度輝元、秀家、景勝德川殿と弓箭をとり、九州中國の諸大名皆同心せられ候。斯れば此城を請取り申すべし。長盛久しく德川殿の御親み深く候へば、此事然る可しとは存候はねども、思慮の及ぶべきに非ず。伏見の城は太閤築かれ候て、今德川殿姑く預りて御座しませば、德川殿の城と申すべきに非ず。疾く城を出でて內府に忠を致さるゝ道有らんと存ずる由言ひ送りければ、元忠聞きて、過ぎし頃內府會津に向ひし時、固く守り候へと申して候に、敵に渡し候事は存じも寄らず。增田殿は內府に親有る故、斯る事を述べらるゝ旨心得られず候。若おめ〱と城を渡さんに、同じくは城を枕にせよとの使賜はり候はば忝しとも申すべし。疾く城を出でよとは武將の詞には有る可き事とも存ぜず。疾く寄せられよ。討死せん、と答へしを返りて長盛に告ぐる。側に渡邊勘兵衞有りしが、熟々聞きて感じ入りて頻に淚を流しければ、長盛も我も惜き人を殺さん事の嘆かしき、とて共に淚を流しけるとぞ。斯くて三萬餘の寄手四方より攻めけるに少しもひるまず。十日餘防ぎけるに、甲賀の者內通して七月晦日の夜、松の丸に火を懸けしかば、寄手力を得て攻入りたり。內藤は精兵の手利にて、差詰め引詰め射ける矢に死人數を知らず。終に內藤父子も討死し、主殿頭五左衞門を始として殘なく切死にぞしたりける。元忠本丸に有りて門を開かせ、門際より六七間退りて、士卒三百餘白刄を拔き揃へ、靜り返つて待ちかけたり。寄手しばし攻入り兼ねてためらひけるに、元忠大音あげ、一人にても敵を討ちて死するぞ士の志なれ。吾三方ヶ原にて足に手負ひ行步心に任せざれども、逃げんとせばこそ足をも賴まめ。いざ最後の軍せよ、と下知する聲を聞きて、一同に切つて出で面も振らず戰ひて、一人も殘らず討死しけり。元忠戰ひ疲れて玄關に腰をかけ、息つぐ處に雜賀孫市重次死骸を踏越えて進み寄れば、吾は鳥居彥右衞門よ。首取つて高名にせよ、とて物具脫いで腹を切りたりしかぱ1、雜賀其首を取りたりけり。本丸に二つの門有りけるを、大手の外は皆堅く鎖してければ、一人も逃散る者なく討死しけるとぞ。後元忠の首を大坂京橋に梟せしを、京の商人佐野四郞右衞門と云ふ者鳥居に親み有りしが、斯る忠義の人の首を惡逆の罪人と同じく晒す事や有る、とて夜深て盜取り智恩院に葬りて、一宇を建て龍見院と名附けしかば、石田聞かば必定刑罰すべし。詮なき事なり、と云ひける者あり。佐野、吾久しく恩を受けし身なれば、白刄を蹈むまでこそなからめ。是程の事は人の義なり。義無きは禽獸なり。人生れて死せざろ事2なし。刑罰に會はん事些とも惜からず、とぞ言ひける。
  1. 誤植 — 底本「しかぱ」。半濁点は誤りか(「しかば」)。
  2. 誤植 — 底本「せざろ」。「せざる」の誤植か。
雜賀孫市後水戶中納言家に仕へたりしが、或時中介を以て鳥居忠政の許に云送りけるは、重次昔伏見の城にて、元忠の御最期に參り合ひ、其時の御物具吾家に取り傳へ候ひぬ。先考の御形見にて候。御覽ぜん爲返し參らせ度くこそ候へ、といふ。忠政悅んで、亡き父が形見是に過ぐべからず。一目見ばや、と答ふ。重次自ら携へて行き向ふ。忠政門外に出迎へ重次を奧の間に招じ、亡父に再對面の心地す、とて淚を流し、甲冑太刀刀おし板の上にかき据ゑて是を拜し、さて今日重次を饗せし有樣誠に美盡せり。其翌日重次の方に使を立て、昨日の見參を謝す。又重次の御志によりて父が最後に帶せし物具再び見候事、返す〲も悅び入存候ひぬ。忠政が家に傳へし父が形見に見るべき物も少からず。見苦しうは候へども、此物具重次の家に留めて御武名を子孫に傳へられん事、弓箭の道には良き御遺戒にもや候べき、とて甲冑太刀刀悉く返し遣す。夫より年每に、冬綿厚く入れたる衣五領、使者に持たせて遙々と水戶に贈り遣し音信を通ずる事、忠政が一期の程終に怠らず。水戶公此由聞し召し大に感じ給ひ、鳥居が使者の來るべき前、道梁を修理せさせ、重次に客儲すべき魚鳥樣の物賜ひけるとぞ。