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○七人の大將石田を討たんとせられし事

卷之十二 第2話 · 段落 1 · NDL 1078984 205コマ R

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慶長四年大坂に在りたる諸將の中、福島正則、淺野幸長、黑田長政、已下七人石田と不和なりし人々、使ひを以つて、朝鮮に有りし時各力を盡し軍せしに、目附に定められし福原右馬助直高、垣見和泉守家純、熊谷內藏允直陳、大田飛驒守政信等私曲を構へ、太閤に達せざりし事どもを憤りて、罪科に處すべき由申し遣られしより事起りて爭論甚しく、使度々に及べり。七人の諸將、此事只に止むべきや。石田を討亡しても必ず所存を遂ぐべし、との趣を石田聞きて、上杉景勝に、如何すべき、と問ふ。上杉も案じ煩ひしに、佐竹義宣、日頃三成に親しかりけるが、是を聞きて伏見より大坂に赴き、三成が許に到りて、別に存ずる旨も無し。たゞ德川殿に告げて、和平の事を賴むべき外謀有るべからず、とて三千許の兵を以つて三成を伴ひ伏見に赴きければ、諸將、事を延したるゆゑ石田を逃しつるよ、とて旣に追駈けんとせられしに、早伏見に著きたらん、と聞えしかば、齒を嚙みてさて止みけり。東照宮聞し召し、太閤在世の時は、寵を賴みて權威に誇り無禮にも有りぬべし。今に當りて諸將の申さるゝ處其の理無きに非ざれども、罪の疑しきは輕くすとかや聞きぬ、とて强ひて宥め給ひけれども、尙止むべからざれば、さらば今世治りたるに弓箭を起さんとや。力無き事共なり。我石田と心を合せ諸將と軍すべし、と仰せられしにより、止む事を得ずして怒を押へて、さて止りぬ。其後今世の亂となる可きも又穩かならん事も、一己の所存に有るべし。暫く佐和山に退きて、公の萬事に相たづさはる事無くて然るべからん。子息隼人正の事は、我能く家を全うせん事を計るべし、と三成に仰せられしかば、忝なき由謝して、佐和山に歸るべきや否や景勝に相計りしかば、景勝、我會津に歸りて上らずば、內府催促有らん。其時侮りたる體を顯はして罵る程ならば、必ず軍を出さるべし。行がかりに容易く打破られんや。固く支へて戰はん其の間に、大坂に討つて出でて、素より心を合する諸將を集め旗を揚げられよ。是に過ぎたる謀有るべしとも覺えず、と計られしかば、三成佐和山に赴くにぞさだめける。三成が士大將、島左近昌仲三成に勸めけるは、秀家、秀詮も兩端を持するにや、覺束無く候。佐和山の軍兵を計るに、一戰を決するに不足候まじ。一千餘をとゞめて佐和山を守らせ、蒲生備中、舞兵庫、高野越中と某各一千の兵を率ゐて風上より火を掛け、所々を焰となして攻め懸かる程ならば、內府拒ぎ兼ねて引退かれん處を、追詰め〱軍せば爭か打洩すべき。萬に一つも志を遂げざるならば潔く御腹召れ候へ。空しく佐和山に退きなば後悔するとも益あらじ。居ながら可惜圖を外さん事口惜しく候、と言ひけれども、三成は景勝と相策りしゆゑ、昌仲が謀畧を納れずして止みぬ。三成旣に佐和山に赴くに及んで、七人の大將猶憤深かりしかば、道に俟ちて討取可し、と言ひ振らす。東照宮聞し召し、今は打ち捨て置ばや、如何すべき、と本多正信を召して仰せあり。正信熟々思慮して、今日本を取つて德川家に獻ずる者は石田にてこそ候へ。其の故は、三成奸曲ある故人々惡みて候へども、又三成に與する者も多く、容易く打亡し難し。故に言を禮儀に託し、手を德川家に借りて亡さばやと存ずる人々候へば、三成今ほろびて後悉く平均に歸せんや。諸將外には殿を敬すと雖も、內には隙を伺ふ人も候はん。故太閤の恩を得たる豪雄秀賴に背くに忍びず。三成を憎むの心を移して殿に懷き申すべし。三成有らば殿を敬し重んぜん事愈厚かるべし。三成久しく人の下に屈むべき者に候はねば、頓て弓箭を取るべき事掌の中に有り。三成敵とするに足らんや。其時三成に打勝ち給ひなば、殿自然に勢を得させ給ひて、誰か靡き從はで候べき。日本三分の二は殿に歸服すべく候。只三成に御心を附けられ、暫く彼を立て置かれ候こそ然る可からめ、と申しけるを聞し召し入れられて、三成が旅程心許なし、とて結城秀康卿をもて送らせ給ひけり。