東照宮景勝を征伐に關東へ向はせ給ふ時、江州水口に御泊あり。その明の朝長束大藏大輔、御膳を奉るべき、と申して御約束有りしに、夜四つ頃俄に水口を打出でさせ給ふ。御輿を舁く者出合はざりけるに、渡邊忠右衞門守綱草鞋脚胖掛にて御輿の片々を舁きけるを、誰ぞ、と仰せられしかば、渡邊忠右衞門にて候、と申すを聞し召し、何とて斯く不意に打出づるを知りたるぞ、と御尋有りければ、若年の時より御傍に仕へ奉り候身の、これ程の事を仕るまじく候や。情なき御詞なり、とぞ申しける。忠右衞門宵より斯く有らんと推計りて、御輿の椽を枕にして臥居たりけるとかや。其夜土山に著かせ給ひて、翌日水口へは、昨夜時を取違へて早く立ち候ひける、と仰せ遣されけり。