○細川忠興忠告の事
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直に向島へ參りて、東照宮御對面有りしかば、忠興、近習の人を屏けて、只今參る事別の子細も候はず。石田等黨を結び利家を依賴として、君を亡し申すべきと企て候。利長と年頃の親しみに依りて具に洩れ承りぬ。彼等が謀に落ちざる御設こそ然るべく候へ、と申されけるを聞し召し、過ぎにし年信長攝州出陣の比、弱年にて武勇の譽有りし故申し通ぜしなり。斯る深志有らんとも知らざりける悔しさよ、と悅ばせ給ひて、榊原康政を召して、如何有る可き、と仰有り。事急に候。後れては人に制せらる可し、と申す處に、忠興、國の輔は人の與する事最一に候へば、淺野幸長を召され候へ。彼は必ず德川家に心を寄すべし、と申されければ、頓て使を走らせらるゝに、取敢ず參られたり。忠興出で向ひて事の子細を語らるゝに人多き中に斯る事を知せらるゝ事交の甲斐有り。斯る時は疑の生じ易き習に候、とて忠興、幸長先誓紙を書きて奉りぬ。若し敵寄せば幸長は宇治川を固め候ひなん。忠興は敵の中に打交り、不意に一軍仕り候可し、とぞ相計られける。然れども是も始終勝を全うすべき道にも非ず。利家と和平有るに踰ゆる事候まじ。只兩人に任させ給ひ候へ、とて其翌日、忠興夙に利長の許に行き向ひて、昨日の密謀一々內府に告げたり、とぞ語られける。利長色を變じて、こはそも戲に候や實に候や、と驚かれけり。忠興、されば愚者も千慮の一得候。此事を思慮するに、石田謀つて兩雄を鬪はしめ、其弊に乘らんと料るものに候。兩雄相鬪ひて亡びなば、安藝の輝元、備前の秀家などを大將として、吾等が如き者は手も無く攻平げなん所存見顯し候。寬仁の內府に與してこそ家をも起すべけれ。三成と心を合せて名を汚し身を失はんは必定にて候。斯く申す詞を許容候ひなば、疾く內府と令親利家と和睦有りて、世穩かならん事こそ然るべう候へ。是全く前田家を佑くる所にて候、と詞を盡して規誨せられしかば、利長も深く思慮して、道理に當れる事共にて候。然らば父に申さばや、とて利家に斯くと告げて利害を詳に語られけるに、利家も諾せられけり。