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○石田三成が事

卷之十一 第10話 · 段落 1 · NDL 1078984 194コマ L

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石田治部少輔三成は、近江國石田村の百姓佐五右衞門といふ者の子にして、幼かりし時佐吉と言しが、家貧しく近き邊の寺に遣りて在りけり。或時秀吉彼寺に行き、佐吉が明敏なる故呼出して側に仕へしめしが、頻に祿を增し、水口四萬石與へられける。後三成に、人數多招きたらん、と問はれしに、島左近一人呼出し候、と申す。秀吉、其は世に聞ゆる者なり。汝が許に小祿にて如何で奉公すべき、と言はれしかば、三成、祿の半分を分ち二萬石與ハ候1、と答ふ。秀吉聞きて、君臣の祿相同じといふ事昔より聞きも傳へず。いかさまにも其志ならではよも汝には仕へじ。由々敷も計ひたるかな、と深く感ぜられ、島を呼出して手づから羽織を與へて、是より三成に能く心を合せよ、と言はれけり。三成佐和山を賜りたる時、島に祿增與ふべき由言ひけれども、祿更に不足にも候はず。他の人々に賜はり候へ、と辭しけり。左近が父元室町將軍家に仕へ、江州高宮の傍に甲斐無き樣にて隱れ居たりしを、三成招き出しけり。
  1. 誤植 — 底本「與ハ候」。片仮名「ハ」の活字が用いられている。「與へ候」の誤りか。