可兒才藏吉長は、尾州可兒山の人にて大剛の者なり。篠を指物にす。首を取りて篠の葉を口中に押込み、投棄てて後の證としける故、世の人篠の才藏といひ傳ふ。關白秀次に仕へ、長久手の軍に秀次引退かれしに、岡本嘉介、村善右衞門等踏留りて支へしに、才藏が來るを見て山に倚りかゝる心地せしとなり。扨才藏、殿は何方にぞ、と問ひて其退かれたる方に行きけり。目前の敵を見捨てて引退きしは、聞きしにも似ぬ才藏かな、と論じけるが、或日聚樂にて語り出して、才藏に、如何なる所存有りしや、と問ふ。才藏聞きて、何心なく殿の跡を慕ひたるばかりなりき。今人々の論を聞くに尤なり。然らば暇申す、とて宿へも歸らず直に立去りけり。後に福島正則招きて七百五十石の祿を與へらる。才藏が下人に久右衞門といふ剛の者あり。才藏其祿の半分を與へ、竹內久右衞門といふ。才藏が墓藝州廣島に在りといへり。