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○關ケ原合戰島左近討死の事

卷之十三 第18話 · 段落 1 · NDL 1078984 224コマ R

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黑田長政はもとより石田と不和なりしかば、關ヶ原合戰の前選り立てたる士十五騎、明日の軍に拔懸す可からず。吾が馬の廻に引添ひて軍せよ。石田と手を取組みて討取らんと用意せられけり。石田が陣の前に柵あり。島左近昌仲左の手に鎗を取り、右の手に麾を執り、百人許引具し、柵より出て過半柵際に殘し、靜に進み懸りけり。長政馬より下り立ち、鎗を提げて睨み合ひたる處に、菅六之介政利少し高き處に上り、五十挺の鐵炮を透間なく橫合に打たせけるに、眞先に進んだる敵手負ひて、左近も死生は知らず倒れしかば、ひるむ所を、長政㗢と押懸り切り崩されけり。左近は肩に掛けて其處を退きぬ。菅後に六千石の祿賜はり和泉と稱す。長政筑前の國領せられて後、關ヶ原にて撰に合ひ、長政の側に有りて軍しける人々集りて閑話しけるが、石田が士大將、鬼神をも欺くと言ひける島左近が其日の有樣、今も猶目の前に在るが如し、と云ひけるに、其物具の事を言ひ出して更に定かならず。人々口々に言ひしかば、其軍の頃石田が方に有りける士の筑前に仕へけるを、三人呼寄せて問ひければ、左近、冑の立物、朱の天衝、溜塗桶、革胴の甲に、木綿淺黃の羽織を著たりし、と語る。人々驚きて、近々と詰寄せたるに見覺えざる事、能狼狽たるよ。口惜き事なり、と云ひしに、其中に取わき剛の者の云ひけるは、見違へたるは我ながらも理哉。左近が引具したるは皆優りたる物師にて、七十許は柵際に殘し三十許左右に立てて、麾を取り下知したる有樣、熟々と案ずるに、三十人許の兵共鎗の合ふべき際にさつと引取り、味方ばら〱と追駈けんを近く引寄せ、七十餘人の者共えい〱聲を揚げて突きかゝり、手の下に追崩して殘りなく討ち捕らんとの手段なりき。今思ひ出れば誠に身の毛も立ちて汗の出づるなり。斯酒汲交して、心安き朋友と物語するとは大に異らずや。人々大方目の魂は失ひたるにぞ。若其時橫合より鐵炮にて打ちすくめずば、我等が首は左近が鎗に指し貫れなん。見違へたりとて必ずしも恥に非ず、とぞ言ひける。