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○飯尾甚大夫一騎先駈の事附成合平左衞門が事

卷之十三 第19話 · 段落 2 · NDL 1078984 225コマ R

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關ヶ原にて飯尾甚大夫安信只一騎、黑田長政の陣の前に馬を乘寄せ、大音上げて名乘りけるを、いざ討取らんと早雄の若者共進みけるを、野口左介、益田與介見て、只一騎先駈したる志、昔をいはば一の谷の木戶口にて、熊谷、平山が終夜名乘りつる體なり。平家の士出合はざりしも、志の者を助けんとなるべし。容易う討つべけれども夫は情なし。後を見よ、と鎗を橫たへて制しければ、飯尾度々名乘つて馬を引返しけり。飯尾は豐後國富來の垣見和泉守が兄利右衞門が子にて、五千石の祿にて秀家に奉公し居たり。
株瀨川1の軍に、中村の士成合平左衞門利忠、牛の舌の指物にて眞先駈けたるを、飯尾討取りけり。其後黑田家に仕へ千石の祿鐵炮預りしに、長政成合が首取つたりと聞き、彼成合は世に隱なき勇士なり。其首を取りたれば、とて三千石增與へられしとぞ。成合元中村家の士なり。天正年中秀吉、蒲生氏鄕、木村伊勢守秀俊に奧州數十萬石賜ひし頃、兩家とも士卒の少きに困りしかば、秀吉下知して、日本國中の士主人に不足ある者共、或は主人構有る面面皆兩家に行きて祿を得べし。主人咎めなば秀吉相手たらん、と札に書きて立てられしかば、成合は和泉小木川の一番鎗を合せ、秀吉の感狀賜りけれども、一氏僅に三百石與へられし故、木村が許に行きて三萬石、佐沼の城代たりしが、木村が家亡びて後復中村が家に歸りて仕へ、株瀨川2にて討死したりけり。
  1. 誤植 — 底本「株」。振り仮名「くひせ」から「杭瀨川」の誤植か。
  2. 誤植 — 底本「株」。振り仮名「くひせ」から「杭瀨川」の誤植か。