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○蒲生備中父子戰死の事

卷之十三 第20話 · 段落 3 · NDL 1078984 225コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

蒲生備中眞令は石田が內にて聞ゆる勇將なり。關ヶ原の前軍評定の時、眞令、明日は偏に必死と思ひ定めらるべし、と云ふ。島左近、明日先陣に進んで忠義を冑として打勝つべき物を、と言へば、眞令又、昔より利を得るは天の祐に依ると雖も、軍の正しきと法令の嚴しきとの二つにあり。能く內に省み給へ。偏に必死と思ひ定められなば勝の半なるべし。左非ずば復御目見致さじ、とて座を立ちけり。眞令元より敗軍を覺りて、三成に必死を究めし詞を出したり。斯て關ヶ原にて只一騎三成が陣に乘行きて何事にかいひけるに、三成打頷く。眞令駈歸り、競ひ懸る敵に向ひて散々に戰ひけるが、織田長益に合ひて、昔は蒲生の家にて橫山喜內、今は石田が內にて蒲生備中とて人に知れたる者なり、といへば、長益、神妙に候。我に降參せよ、と言ひも終らぬに、こは何事ぞや、とて拜み打に斬つて打落す。長益の從者千賀文藏鎗を以て突通すを、其柄を握りて引組んだるに、文藏が弟文吉刀を取り直し、眞令を刺して遂に打取りけり。眞令が子の大膳は戰ひ半に首一つ提げて父に見すれば、功名も何にせん、と言ふを聞き、又東に向ひて、押懸る敵に駈合せんとせしが、父討たれたりと聞き、
まてしばし我ぞ涉りて三瀨川あさみ深みも君にしらせん
といふ歌を高らかに唱へ自害したり。大膳幼より戲を好まず。關ヶ原に出陣の時、母、我汝が富貴を願はぬには非ざれ共、弓箭の家に生るゝ身は昔より名を重んずる習なり。凡物二つは兼難し。身を全うして名を忘れよとは言ふ可からず、と言ひしかば、父と共に死して母の戒に違はざりけり。