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○毛屋主水物見の事

卷之十三 第17話 · 段落 1 · NDL 1078984 223コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

關ヶ原にて諸將物見を出されしに、馳歸りて、敵或は八九萬又は十萬許も候らん、といふ所に、黑田長政の物見毛屋主水、敵は一萬によも過ぎ候はじ、といふ。軈て東照宮の御陣所に參りて申せば、敵は大軍なる處汝が詞こそ怪しけれ、と仰せられしかば、主水承り、凡敵は七八萬もや候らん。されども兩軍の勝負を計りて、己が身に懸けて軍に志し候兵は幾程も候はず。石田、小西等が賴切つたる者共、彼是合せて一萬許に過ぎ候まじ。一陣敗北せば餘は戰はずして敗れ候可し、と申しけるに、東照宮、主水は敵の內通を知りたるにや。軍の情に能く通じけるよ、と感じさせ給ひ、御手づから饅頭を賜はりけるを、踏壇に有りて此を食して出でける後、彼は本姓は何と言ふにや、と仰せ有りければ、側より、毛屋と申す、と申せば、否とよ。北國の毛屋といふ所にて功名せし故、毛屋と姓を更へつると聞きたり、と仰せ有りけり。主水元山崎源太左衞門に仕へ、後黑田家に奉公し、朝鮮にて平安道の小川を渡せし時、味方は遄に渡せるにや、と云ひけるに、主水、味方は川上を渡し候。子細は馬の沓草鞋の流れ候故に察し候、といへば、長政、尤なり、とて渡されしとかや。主水後千五百石の祿なり。此時は旗奉行たりしが、合渡の軍に如何にしたりけん、長政の旗しどろに成りし時、主水馬より飛下り、鎗の鐏を以て旗竿を俯け、汝等もし旗を仰けなば、忽ち切つて捨てん、と下知して、岩卷と言へる旗さしの强力の者に取分て固く戒め、主水もえい〱と聲をかけて押立てたり。又關ヶ原にて長政の旗卑き所に立てたりければ、長政、あとの高き所に立てよ、と下知せらる。主水、進んだる旗を退くる程ならば、敵に勢を附け候ひなん、とて遂に旗を立直さず。長政後に此二事を賞せられけり。