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○株瀨川合戰の事

卷之十三 第12話 · 段落 3 · NDL 1078984 221コマ R

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關ヶ原の軍の前、九月十四日浮田、石田軍を出し、一色村に兵を伏せ株瀨川を渡り、中村式部少輔の軍兵の陣所に押寄せて鐵炮を打懸くる。中村が士竹田五郞兵衞先駈して打て出づる。有馬豐氏も陣所相並びたれば兵を出す。竹田は討死し、伏兵に射しらまされ敗北しけるに、中村が士大將野一色賴母白母衣かけ栗毛なる馬に乘り、崩るゝ味方を勵し返合せたるに、藪內匠引て通りけるを詞をかけ、何とて返し合せざるや、といへば、藪振返り、手負ひたり、とて川を涉す。賴母は鐵炮に中り馬より落ちたりしを、其組の士松村淸介賴母がわたかみを取りて引ずり退きけれども、敵追來れば賴母が上帶を切り、刀脇差ばかり取りて退きけり。其後富村といふ者賴母が首を取る。
其前の日野一色、藪二人、國淸公、福島正則等の諸將の前へ出で、岐阜攻落され功名致す可き樣も無く候。扨此よりは中村が者共軍始仕らん、と言ひけるに、軍始は我々共が業なり。いはれざる事を言ふ、とて不興なりし。其中に正則目を見出し怒られける故、左樣にも仰せられざるがよく候。大夫殿の押附羽織の後紋を見申したる事も有りき。式部事太閤より以來先陣を勤め、何れの軍にも功名遂げ候。兎角仕りて御目に掛けん、と言ひしとぞ。