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○稻次右近功名の事

卷之十三 第13話 · 段落 2 · NDL 1078984 221コマ L

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株瀨川にて三成が兵勝に乘りて進む處に、有馬の士稻次右近、鳥毛の半月の指物にて殿しけるを、橫山監物といふ三成が士馳寄つて引組んだり。稻次が從者助け來り、橫山を引伏せたる處に、敵走り寄つて稻次が冑を取り引仰ぐ。稻次振り放さんとする時、從者又助け來りて敵を一太刀斬る。斯る處に堀尾忠氏の母衣の者馳せ寄つて誤つて、稻次が手の者を切伏せて首を取る。稻次は終に橫山が首を取り又敵をも打取り、馬を靜に步せて東照宮の御陣所に參りけるを御覽じて、先に此陣の傍より敵に向ひたる武者功名したるは誰が者ぞ、と仰せ有りしに、有馬法印側に有りて、豐氏が手の者にて候、と申す。稻次首帳を記す處に行きて、從者を味方討に打たせて候。其首帳をば消して給はり候へ、と云ふ聲を聞し召し、何事ぞ、と問はせ給へば子細を申す。斯る大軍の亂合ひたる戰ひには、味方討も有る物よ、とぞ仰せられける。
其後稻次には六千石祿增與へられ、八十五歲島原の城攻に討死せしとかや。堀尾の母衣の士共味方を討ちたる者と同じく、母衣預り居らん事口惜し、と申せしかば、忠氏の父吉晴是を聞き、彼士をば母衣を取返して、別に弓の足輕二十人預けられけり。