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池田輝政
本文表記 公・國淸公・輝政公・池田・國淸院樣・池田三左衞門尉・三左衞門尉・古新・三左衞門尉輝政公・參議輝政朝臣・三左衞門・池田殿・池田三左衞門尉參議輝政卿・先殿・池田三左衞門・池田輝政公・池田三左衞門參議輝政卿
攝津國花隈城落つる事 卷之四 · 4
南部越後攻口の事 卷之九 · 1
- p01…小田原を圍む時、國淸公の攻口は搦手の山の上なり。目の下に見下し鐵炮を打入れけるに、…
渡邊惣左衞門野中市左衞門忍びて大坂に使する事 卷之十二 · 7
- p01…同じ時國淸公參議輝政朝臣の事小山に御座しまし、大坂の北の方に誰か使…
- p01…同じ時國淸公參議輝政朝臣の事小山に御座しまし、大坂の北の方に誰か使すべき、とて、慶…
- p01…りぬ、とて其明る朝書附けて出すに、渡邊惣左衞門とぞ記したる。公も左の袖より出させ給ふに、同じく渡邊を記させ給へり。如何なる…
- p01…無く東西の戰有るべきに、大坂に赴く事快からぬ色の見えければ、公、容易く關所を通り得じ。若し殺されたらば吾馬の前にて討死した…
- p01…二人下人も召具せず、七月二十五日小山を出て、其比三河の吉田は公の領地なりしに、己が宿所へも立寄らず、笠を傾けて忍びて打過ぎ…
- p01…なく、空しく立ち出づる時、左近追ついて、何國の人ぞ、と問ふ。池田三左衞門尉が士なり、と答ふ。左近、然らば其處の川堤の下に乞食の棄てたる…
- p01…ず。勘解由立出でて樣々にいひ斷り、通り得て北の方の前に參り、公の仰を細々と述べて笠の緒を解きて奉る。北の方は簾を隔てて對面…
竹村半兵衞田中長胤を押止むる事 卷之十二 · 4
岐阜城攻の事 卷之十二 · 15
- p01…岐阜の城を攻むる軍評定の時、國淸公、大手に向はん、と仰せられけるに、福島左衞門大夫正則聞いて、…
- p01…則聞いて、吾こそ今度の先陣なれ、とぞ爭はれける。井伊、本多、公に向ひて、內府の御緣者なり。讓られ候へ、と有りければ、正則は…
- p01…候へ、と有りければ、正則は尾越より西美濃に入りて大手に向ひ、公は河田の渡より寄せさせ給ふに定りけり。稍有りて正則、搦手へ吾…
- p01…多、正則の領地なれば大手より船筏を以て渡されん事安かるべし。三左衞門尉は搦手より向はれ候へ。旣に定めつる上は今更變へんも然る可から…
- p01…と申されしかば、正則、扨は吾敵地に入りて相圖の煙を上げて後、池田殿川を渡されよ、と言ひて大手に向はれけり。頃は慶長五年八月二十…
- p01…て大手に向はれけり。頃は慶長五年八月二十一日の未だ宵暗きに、公は淸洲を打出で、河田の邊に陣して、明くれば二十二日の曉に川涯…
- p01…出して陣したり。味方の軍兵勇み進んで早川に打入らん氣色なり。公馬を乘廻し、今暫ぞ、と下知せさせ給ふ。此時貝福右衞門、時は能…
- p01…、と下知せさせ給ふ。此時貝福右衞門、時は能かりぬ、と申せば、公、然るべし、と宣ひける。詞の下より逆卷く波に馬をさつと打入れ…
- p03…公、味方の陣を整へよ。濫に進むな、と下知有りけれ共、などためら…
- p03…知有りけれ共、などためらふべき、吾劣らじと進み行く事三町許。公、今は時こそよけれ、と腰に挿したる麾を取りて一振振らせ給へば…
- p04…なるべし、とぞ語りける。慶長六年祿二千石を增與へられ、同八年公參議に任じ、參內の時久次太刀の役たり。從五位下に敍し丹後守と…
- p05…正則は大手の惣大將にて、素より他人に超えられじと思はれしに、公旣に新加納にて敵を擊破りたりと聞き、怒り悶へて二十三日の朝先…
- p05…して町口に火を懸けさせたれば、搦手の軍兵烟に咽びて進み得ず。公是を御覽じて、こは心得ぬ仕業なり。火の消ゆるを待つべきにや、…
- p05…畑を廻り、長良川より後の水の手に押寄せ給ふ。池田吉左衞門は、公此城に御座せし時水門に居て、案內は能く知りつ、水拔の有りける…
- p05…能く知りつ、水拔の有りけるより入りて水門を打破り旗を差上げ、池田三左衞門尉本城の一番乘と呼はりけり。正則の道を妨げられしは、却て池田家…
森寺四郞兵衞飯沼小勘平を討つ事 卷之十二 · 3
山田多門兵衞幼年功名の事 卷之十二 · 2
株瀨川合戰の事 卷之十三 · 1
- p02…其前の日野一色、藪二人、國淸公、福島正則等の諸將の前へ出で、岐阜攻落され功名致す可き樣も無…
長束大藏大輔降參の事 卷之十五 · 2
池田忠繼朝臣士を懷けられし事 卷之二十 · 1
- p01…東照宮の御女北條氏直の北の方にて御座しけるが、北條家亡びて後國淸公に再嫁有りて生れ給へりしかば、東照宮の御外孫なり。大坂冬陣に…
芳賀內藏允武者振の事 卷之二十 · 1
- p01…と言うて旗本に歸る。此芳賀はもと祐筆なりしが、岐阜落城の日、國淸公勝軍の書を芳賀に書かせられし時、麓に將机に倚りて御座す。芳賀…
伴玄札殉死を止る事 卷之二十三 · 3
輝政公武將の重寶を示さる事 拾遺 卷之二 · 1
- p01…輝政公、武將の重寶とすべきは、領分の百姓と譜代の士と鷄と三品なり。…
同牧方表に御旗を立てられ首御實撿の事 拾遺 卷之二 · 2
美濃大垣にて八月廿四日より九月四日まで鐵炮迫合の事 拾遺 卷之三 · 2
輝政公岐阜攻貝吹右衞門が事 拾遺 卷之三 · 4
輝政公關ケ原行軍順見の事 拾遺 卷之三 · 1
- p01…の時、大將諸軍を巡り見給ふ事古法なり。關ヶ原合戰の行軍の時、池田輝政公諸卒の左の方をはた〱と乘出し、先手まで乘り行きて、先手の先に…
岐阜攻の時川々洪水によつて後藤又兵衞尋問の事 拾遺 卷之四 · 1
- p01…關ケ原御陣前々、福島正則、池田輝政外大名十二頭にて岐阜の城を攻むる。黑田長政、田中兵部少輔、藤…
芳賀內藏允忠功の事 附錄 雨夜燈 · 4
名將たち質素にして下情に達せられし事 附錄 雨夜燈 · 1
- p01…つぱの衣服引さきたき心地して、それより人質素に成りけるとぞ。國淸院樣、村々庄屋に高一石に附米二升宛免ゆるし候へ、とて、年號月日堀…
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