關ヶ原の軍敗れしかば、長束大藏大輔正家江州水口の城に引籠りしを、國淸公、船戶帶刀を使として降參を勸めらる。船戶、是は物慣れたる人然るべし、と辭し申しけれ共、汝疾く行向へよ、と仰せられしかば、船戶方三四寸許の小き鐵の板を造らせ、懷に入れて水口に行き長束に逢ひ、降參あらば士卒も別の事候まじ。此旨よく申せと申すなり、と言ふに、長束、阿濃津の城攻して關ヶ原にさせる軍もせで口惜く候。さらば此城を枕にせんと手の者共存ずる處なり。然るに降參せんは恥辱にて候、と言へば、船戶、長束が側の士を呼びて懷より鐵の板取出し、燒きて給はり候へ。三左衞門尉が詞今斯く申す所僞無き印に、鐵火を執りて見せ申さん、とて思ひ切つたる體、實にも僞ならざりしかば、長束感じて、假令誑られて如何にならんも力なし。汝が仕業類無きによりて降參せんずるにて候。是は見苦しき物に候へど進らす、とて貞宗の脇指を與へけり。船戶尙座を立たざりしかば、長束小姓をよんで硯取出し、降參すべき由書きて船戶に與へしかば、船戶歸りぬ。長束城を出でければ警固の兵を入れられけり。