關ケ原御陣前々、福島正則、池田輝政外大名十二頭にて岐阜の城を攻むる。黑田長政、田中兵部少輔、藤堂高虎、桑山伊賀守、戶川肥後守は、大山押に居る。岐阜を攻むる最中に、大山の城明退き候に附、長政、高虎何も岐阜へ推詰め候內、岐阜落城に、長政、高虎等殘念に思はる所へ、岐阜後詰として、大垣より石田三成、島津義弘、小西行長二萬餘にて合渡川迄押來る。長政、吉政、高虎、桑山、戶川等幸と悅び合渡川へ馳向ひ、大垣勢漫々と川向に備へたるに、八月雨の洪水增して、瀨枕打つて流れ早く、水事々出づる。何れも香が島村の札の辻に集り、五人の大將は床几に腰をかけて居る。家老功者どもを集めて談合する。川を越えて合戰利あるべきか、又越さずして利有るべきか、勝負の所談合に時を移す。されども一決せざる時に、後藤又兵衞政次頭形の甲に孔雀の引廻に、五尺づつ出でたる銀の天衝のつり立物し黑母衣かけたるが、遠々に畏り居る。高虎申され候は、あれに罷在る銀の天衝は、黑田殿御內後藤又兵衞と見えたり。呼寄せ彼が了簡を尋聞かん、とあり。長政の曰く、皆歷々寄りて埒あかざる談合を、何とて又兵衞了簡仕るべきや、と謙退なり。高虎、左樣にて之なく候。又兵衞はこびたる事を申す者にて候、とて扇にて召され候へば、又兵衞黑母衣搖りかけ參り、畏り候。藤堂申され候は、如何に又兵衞、此川を渡して利有るべきか、川を前に當て渡らずして利有るべきか。先程より相談極まらず。汝が了簡を尋ぬる所なり。川を渡し渡さず勝負如何、と有る。又兵衞につこと笑ひ、先程よりあれにて承り候。憚りながら各樣此處は御相談所とは不㆑存候。其子細は、今晝遲く御座候て、岐阜の手は御會ひ不㆑被㆑成、何を以て內府へ仰せ立てられに成され候はんや。爰にて御一戰なされずば、恐ながら各樣男と成り申すまじく候。勝にも負にもかまはず乘越え、一戰遊され、此川を墓所になさるべく候、と眼に角を立て申候へば、諸大將手を打ちて、扨々尤至極なり。兎角云ふに及ばず、とて合渡川を越え、大利を得られたるとなり。大坂表今福合戰にも、又兵衞鐵炮に中り疵を探り見て、大坂の御運もまだ强きぞ。我手淺し、と云ひたりとぞ。