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目次 › 拾遺 卷之三 › e588

○佐久間河內守物語竝渡邊內藏助が狂歌の事

拾遺 卷之三 第28話 · 段落 3 · NDL 1078984 418コマ L

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佐久間河內守實政物語に、大坂御陣の時、鴫野合戰の時、小栗又市吉忠と我と兩人撿使に仰附けらる。但十一月二十五日に兩人鴫野へ參り、明日今福口の柵を致すべく旨佐竹義宣仰附けられ、屋代越中守、伊東右馬允、安藤治右衞門遣さる。景勝も明日鴫野口の柵を取り申さるべく旨仰せ出さる。直江山城守兼續申候は、一昨日奧州より到著仕候故、人馬の足を休め其上のことに仕度、と申す。佐久間小栗申し候は、謙信以來著陣其儘にも御一戰と承り及び候。山城はいな事を申され候、と斷り候へば、直江、上意重く候間、明日取詰め申すべく旨御請申上候。二十六日早天より景勝人數を出され候。城方の柵は井上五郞右衞門、渡邊內藏介、幷に大野修理亮治長手の者加り、山市左衞門尉吉正、小早川左衞門、岡村椿之助、竹田兵庫、其子大助、二千餘にて柵三重をり持固め候。前の夜景勝は直江山城を呼び、備組を問はる。直江申し候は、老功にて候故安田上總介を先手に申附け、二の先は須田大炊に申附候、と答ふ。景勝、夫は惡き配立なり。二の目功者にてなければ軍勝はなし。須田を先手に安田を二の先に立つべしと有るに附、直江備を繰替へ申候。之により須田備は競べて二の先の安田手より手柄して見せんと勇み候。安田備は先手を二の先に繰替へられ口惜存候。先手崩よかし。二の手にて盛返し一手柄せん、と勵む故、兩備の士卒中々勇氣十倍になる。景勝、勇才凡人の及ぶ所にあらず、と感狀あり。さて二十六日曙に大坂方へ取懸り、山市左兵衞大將にて、鐵炮大將井上五郞右衞門等柵の外へ出て防戰ひ候。須田大炊先手にて景勝勢眞先に懸り候。勝負數度これ有り候。上杉方多㆑功、豐後守手柄高名なり。北條淸右衞門、上泉主水、櫻圓獄、大股八左衞門、同彥六郞、手柄を振ひ討死す。須田大炊下知して遂に打勝ち、大坂方井上五郞右衞門を討取り、柵二重を取り押込み申候。大坂方山市左兵衞、渡邊內藏介敗軍、其場を取り敷き候。景勝は鴫野の橫堤に旗本を立て、直江山城守に申附け、鐵孫左衞門に鐵炮三百挺遣し、物場より遙々南大和川の堤を堀切り、蘆谷に足輕を立て取固め候。上杉衆申し候は、小口とは遙々脇を取固め候こと、不合點なる手配、とつぶやき申候。其日午刻に、大坂七組靑木民部少輔一之、伊東丹後守長實、速水甲斐守守之、中島式部少輔氏種、野々村伊豫守雅春、眞野豐後守賴包、堀田圖書助勝嘉、其時は天滿口普請場にありしが、鴫野、今福兩口破れ候由承り、天滿より鴫野へ駈附け候。城よりは大野修理亮治長、木村主計頭宗重、渡邊內藏助糺、竹田永翁等かけ出候。上杉先手須田大炊介長義は、石坂新左衞門百人鐵炮にて備一の木戶口を固め打立申候。半時ばかり競合候へども、大坂方大軍故眞黑に懸り候。上杉方鐵炮大將石坂新左衞門場を去らず討死、組勢二十餘人討たれ、須田大炊頭立てられ候へば、二の先安田上總介兼て備を脇へ押出し立候故、須田備は景勝旗本前へ崩れ申候。此時上杉方島津玄蕃は敵大勢に渡合ひ、沼の中へ突落され、起上り鎗を合せ、大坂方を突散し手柄仕り高名、松本助兵衞、北村茂助もさん〲に戰ひ、兩人ともに高名仕り候。市川左衞門、針生市之助、原庄兵衞、駒澤與五郞を始め、上杉家究强の兵枕を並べ討死仕り候。須田大炊備ほぐれかゝりしに、景勝旗本前備は、杉原常陸介親憲、鐵炮三段に立て、金の鎌の馬印を取りて御意にて候間、須田人數兩方へ分れ退き候へ、と呼び、馬印を振り候へば、須田備兩方へ引取り候。杉原下知して、追來る敵を引受け、鐵炮を打ち立て候所を、二の先にて脇へ控へ候。安田上總介釆を執りて橫合に鎗を入れ候故、大坂方惣敗軍になり申候。安田が手柄中々耳目を驚かし候。大坂方杉森市兵衞、湯川次兵衞、田邊八左衞門、幡枝勘解由、米村加賀右衞門、平山藤藏、茨木五左衞門、安宅源八等返し合せ防ぎ候へども、安田上總急に繰立て候故、大坂方崩れ申候。安田勝に乘つて、小早川左兵衞、岡村椿之助、竹田兵庫、同大助を初め追討に討取り候。其內穴澤主殿介は長刀の名師にて、秀賴公の師匠にて候。高所に返し合せ、穴澤主殿介盛秀、と名乘り候を、上杉方坂田釆女組打に仕り、穴澤が首を取り候。穴澤長刀を直江家來折下外記分取に仕り候。さて上杉先手の大將須田大炊見え申さず、行衞不㆑知故、討死と存候所に敵中に交り、大炊手柄なる太刀打直取の高名三つ、手疵一ヶ所蒙り、若黨は五人ながら高名して出來り候故、諸人ほめ申候。扨柵際にて大坂方と上杉方鐵炮軍時をうつす。此時今福口へも木村長門守重成、後藤又兵衞年房、堀田圖書介勝嘉出て一戰、佐竹義宣先手澁江內膳討死、梅津半右衞門、戶村十太夫鎗を合せ手負ひ引退く。加勢を乞ひ候故、杉原常陸百五十挺の種が島を添へて差遣す。川の中洲より打立て候故、木村長門守、後藤又兵衞引退く。佐竹其場を取返す。夫より杉原も須田、安田に加はり、鐵炮軍數刻に及び候に附、御旗本より五の字御使番追々に參り、堀尾山城守忠晴を御入替へ有るべく間、景勝は元の陣へ引取り申べき旨頻に仰遣され候。堀尾山城守へも早々景勝に可㆓入替㆒旨仰せ附けられ候。忠晴畏りて、堀尾河內、同修理、前田丹後二百餘遣し候へ共、城方より大筒を出し候故、堀尾人數進まず候へども、忠晴より重て伊賀衆手垂八十人遣しける。御使番重々、堀尾に場を渡すべし、と仰せ遣され候。景勝無興して、場を渡し引取るべしとは誰の差圖にて候ぞ。更に承り屆けず候。上の御意にても罷り成らず。軍の習先陣を爭ふ時は、一寸增と承り候。今朝より粉骨して取敷候場を、人に渡し引取る法や有るべき。少も引取ること罷ならず由景勝が申すと、上へ仰せ上げられよ、と云ひて、少しも不㆑退候。朝より景勝は鎧も不㆑著、床几に腰をかけ城に向うて脇目も振らず。馬廻り三百餘鎗立頭を傾け、畏れ居て先手の合戰見物なり。景勝は、側には紺地日の丸大四半と、毗の字の大四半只二本に、淺黃の扇の馬印押立て候。其武者立行儀の正しきこと中々言語同斷なり。士卒景勝を恐るゝこと敵よりも甚し。下知の聞くこと武者拵へ比類なきことどもなり。此時丹羽五郞左衞門長重は、上杉後にて陣取り候。先手の戰を見て景勝旗本へ參られ候へども、上杉家作法にて備の中へ不㆑入候に附き、先手へ馳加り申され、大坂方次第に嵩み候時、直江下知にて、大和川堤蘆谷の柵場より、鐵孫左衞門鐵炮を橫合より込替々々打たせ候に附、大坂方柵を持つこと不㆑叶、遂に敗軍し其場を取敷き、景勝の勝になり申候。堀尾人數も柵を廻り、大和川洲崎より鐵炮を打ち申候。此日城方鎗の名師渡邊內藏介大迯仕り候。前日野田の藤見の時の喧嘩にて、手柄有㆑之候へども、今日は上杉方に追立てられて人先に迯げ申すに附て、
鎗兵法名人にても、武道にては役に立たざること勿論に候。今日景勝下知にて大和川の堤を堀切り柵をふり、鐵孫左衞門をも差置候。合戰場よりは脇にて候故、皆々不審仕り候。柵も堀切も敵附てこそ尤にて候。とてもなきことにて候、とつぶやき候所に、後の合戰に鐵が手より橫鐵炮打候に附、遂に大坂方敗軍、景勝の勝になり候故、諸人景勝の勇智淺からざるを感じて、名將なり、と舌を振ひ候ひつる由、其晚鴫野より佐久間河內、小栗又市、住吉御本陣へ罷歸り、合戰の次第申上げ、御次之間にて小栗又市申候は、さて〱今日能打所有りしを、打候へと申したれども、日暮れかゝり候とて不㆑打。餘り殘多さに、直江に、足輕を貨せ1我進みて討つべし、と云ひたれども、日暮れかゝり候とて足輕を貸さず、殘多さ詮方なかりし、と語る。障子を隔てて家康公御聞なされ、其儘御氣色變り御機嫌損じ、やあ又市、己れが分にて、景勝武邊に誹りだては無用なり。推參なること申す大だはけめ、と散々御叱りなさる。又市赤面して罷り立候。鴫野合戰の翌日、兩御所樣御同道にて鴫野口御巡見なされ、上杉陣場御通り懸りし時、上杉總手より城へ鐵炮をつるべ放す。但し御大將御巡見の時の作法故實の由なり。偖景勝町場道節砂を盛り、水を洒ぎ、中之掃除きらびやかなる事なり。景勝も直江一人供にて罷り出で、手を地につき御目見、家康公仰せられ候は、今日は當表にて其方人數骨折候由御懇の上意あり。景勝御請、童部いさかひにて御座候故、何の骨折り候事も無㆓御座㆒、と御挨拶申上げられ候。後日に上杉家人須田大炊、杉原常陸、島津玄蕃、鐵孫左衞門御感狀下され候。皆々御前へ召出だされ候。如㆑此三人は御感狀を戴きて罷立、杉原常陸許御前にて御感狀開き拜見仕り、元の如く卷納め、戴きて懷中仕り、本多佐渡守に向うて、御吟味御文言、殘る所もなき忝き仕合と申上げ、罷り立ち候。皆人感じ譽め申候。其砌上意には、今度上杉家中手柄仕り候、と仰せられ候。常陸介取敢へず、輝虎以來弓矢の暖殘り申候由、御挨拶申し罷り立ち候。諸人感じ申候。上杉二の先安田上總介、今度鴫野にて第一の手柄致し、橫鎗にて大坂方突崩し、味方の勝になり候へども、直江山城と中惡き故、書附に入れざる故に上聞に達せず。御感狀不㆑被㆑下候。其後景勝が所へ皆々を呼び出し、今度鴫野表にては何れも精を出しくれ候て滿足致し候。去ながら大坂弱敵なり。輝虎已來武邊仕なれたる各なれば、氣遣もなく危氣もなかりし、と申さる。安田上總介進出で、各は仕合よく上聞に達し、御感狀拜領にて目出度存候。我等一人は誰も取次不㆑申、御感狀拜領仕らず候へ共、昔より數度合戰に隨分御奉公申上げて、人をば越ゆれども人に越えられず候。其上今度程の事我等功に立申樣無㆑之候。今に始ず珍しからざる事に候。就㆑中我等に不㆑限、屋形樣へ身命を擲つて稼ぎ候。曾て公方への御奉公立に仕らず候故、御感狀少しも望に存ぜず候。已來とても殿樣へ御奉公に命を捨て可㆑申候。公方へ奉公立仕るべく子細なければ、御感狀羨しく無㆑之、と申候。又杉原常陸は、今度御陣に重代の物具古く見苦し、とて猿樂の法被を衣て大坂へ立つ。家康公御覽なされ、上杉家古き風にて錦の甲直垂を著たり。皆々後學に見置き候へ、と上意成り候由、杉原老武者殊におどけ者にて、古き鎧見苦し、とて上に能の法被を著て立ちしとなり。後日に杉原歸陣して皆々に語り候ふは、扨々今度は思ひよらず御感狀拜領して、子孫の寶を得たることや。其故は、今度大坂御陣は、子供いさかひの礫打合の樣なるざれ事なれば、別に恐しき事骨折る事もなきなり。昔關東陣越後などにて、今日死するか、今か〱と思ふやうなる烈しき合戰に明暮逢ひたる時だにも御感を取らず。今度の樣なる花見同前の事に、上樣より御感狀取りたり、と大に笑ひたる由。
  1. 誤植 — 底本「貨」。振り仮名「か」から「貸」の誤植か。