常山紀談本文データベース

目次 › 拾遺 卷之三 › e587

○上杉彌五郞が事

拾遺 卷之三 第27話 · 段落 1 · NDL 1078984 418コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

畠山修理大夫義隆能登を領す。毒害にあひ卒して後、家臣遊佐彈正溫井備中長對馬を始め十一人、其勢二千許七尾の城に籠り、信長に從ふ。上杉彌五郞義春は義隆の伯父なり。越後に有りて此由を聞き、謙信に乞うて七尾を攻落し城兵を誅せり。謙信、義春が先登の功有るを以て、能登は代々畠山の領なり、義春に預けん、との內意あり。能登の兵士之を聞きて、義春出世有らば我々も同じく世に出でん、と追々馳來る事夥し。謙信柴山といふ所に陣し、惣人數の押前を見んとて謙信は床几に腰をかけ、義春は側に畏り居り。能登先鋒の人數美々しき物具にて出來る。謙信人を遣して之を問ふ。彼勢上杉彌五郞が勢なり、と答ふ。次に通るも其次に通るも皆彌五郞が勢なり、と名乘り、夥しき多勢なり。謙信氣色變じ、暫して彌五郞に向ひ、三好宋三は五畿內にて弓矢功者の名將なり。宋三常に人數は難㆑遣ものなり。三百騎より上の勢は遣はれぬものなりと度々云ひしと聞けり、と言ひて、再び詞なし。謙信死去までも彌五郞をにらまへ、勘當同前にて、能登も與へずして止みぬ。彌五郞後畠山入庵と號す。