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○渡邊惣左衞門野中市左衞門忍びて大坂に使する事

卷之十二 第6話 · 段落 1 · NDL 1078984 208コマ R

人物地名家(氏)官職日付索引へ

同じ時國淸公參議輝政朝臣の事小山に御座しまし、大坂の北の方に誰か使すべき、とて、慶長五年七月二十四日長臣を召して、其姓名を書きて出せ、と仰せらる。各、承りぬ、とて其明る朝書附けて出すに、渡邊惣左衞門とぞ記したる。公も左の袖より出させ給ふに、同じく渡邊を記させ給へり。如何なる患難をも堪へて事能使すべき人なり、と人々思へる故なり。然らばとて渡邊を召て此旨を仰せられしに、此は大事の御使にて候、と辭し申す。衆議一決したる上は兎角の論に及ばざる、との仰を蒙り、さては今一人添へられ候へ、人は病と申す事も候へば、と申ければ、野中市左衞門を相副へらる。書二通を渡させ給ひて仰を承りけるが、程無く東西の戰有るべきに、大坂に赴く事快からぬ色の見えければ、公、容易く關所を通り得じ。若し殺されたらば吾馬の前にて討死したりと思ふべし。謀りおほせて大坂の屋敷に到らば、今度の一番首取りたるにも勝るべし、との詞により、二人下人も召具せず、七月二十五日小山を出て、其比三河の吉田は公の領地なりしに、己が宿所へも立寄らず、笠を傾けて忍びて打過ぎ、尾州熱田に到れば、船著に大竹の虎落を結びて守りたり。神職の大原左衞門大夫は渡邊が知れる好有りて、潛に立寄りたり。爰にて大夫が下人竹を傾け藁一把を括り附けて、七八町許先達て此を標に案內者として、伊勢の堺に行きて、夫より野も山も皆敵の中を忍び通れば、飯を乞ふべき樣もなく、あら米を咬み關の地藏に行き著きぬ。行會ふ人每に怪み、あはれ關所にて殺されなん。能く心得られよ、と口々に云ふ。關の有樣傳へ聞くに、中々通るべき樣は思ひも寄らず。伊賀越にや掛るべき、淺間越にや行くべき、と二人打談ひて、先伊勢の大神宮の祝上部左近が許に行きて宿を借らん、と立寄りければ、今何方より參り詣づる人の有るべき、とて取合はず。左近立出て、一宿の事はさて置きぬ。疾く出でよ。棒にて叩き出せ、と罵りけり。二人、憎き奴かな。正しく池田家の恩を請けたる身なるに、と怒れども詮方なく、空しく立ち出づる時、左近追ついて、何國の人ぞ、と問ふ。池田三左衞門尉が士なり、と答ふ。左近、然らば其處の川堤の下に乞食の棄てたる筵を冠りて待たれよ、と小聲にいへば、二人、さる樣も有らん、とて言ひつる詞の如くしたり。夜に入りて左近來り、晝の乞食は何處に在る、と言ふを聞きて、爰に在り、といふ。扨密に相約して、左近が家の裏の戶口より內に入り、奧の一間に暫疲を休めたり。左近、今の時家に有る下人も打解く可きにあらねば、晝の賴母し氣無き事を申したるよ、とて急ぎ飯を認め出し、夫婦給仕をしたりけり。扨道の事を問ふに、淺間越は人の往來稀なれば、此頃は女、乞食をも殺し候。中々通り難かるべし。只一命を賭物にして伊賀越を通られ候へ、と言へば、然らばとて荷俵を負ひ敝れたる綴に身を俏し、御祓箱を笠に著け、刀をも左近が許に置き、いと見苦しき小脇差を求め出して指したりけり。斯くて曉に宮川を打渡り、關所近くなりて見れば通るべき樣ぞ無き。軈て一封の書をば深田の中に深く祕し埋み、其日は行暮れて山に伏し、明る朝一通の書を紙捻にして、靑草を取りて一二三の印をし、笠の緒として一の關所に行き掛る。固めたる士共、斯る大亂に伊勢に詣づる者やある。それ打殺せ、と犇きけり。二人は騷がず、疾くより伊勢に詣でて此騷に及び、一夜の宿をも貸す可からずとの法令により、何方に泊るべき樣も無く、進退谷りて候。大坂の妻子も心元なく、天照大神を賴に任せて歸り候ぞ、と謀りけり。然ばとて荷俵御祓箱脇差の鞘を打碎き、髮を解かせ帶袷草鞋までも改め見て、怪き事も無きよ、とて通しければ、夫より次の關所をも事故無く打過ぎて、大和の奈良に出て寺に入り、酒を求めて飮みたりけるに、住持の僧、肴參らせよ、とて別に良き酒を出し、又薄茶をも出しければ、悅んで二人腰に著けたる錢を與ふるに、小僧多しとて請取らず。其時住持の僧の曰く、能くも謀りて爰迄御座したれ。たま〱爰まで忍び來る人も候へど、皆關所にて殺され候。能く謀り給へ。故有る人と覺えたり、と語れば、二人心の中に打驚きたれども、伊勢に參りける物語して、天照大神に助られて無事に下向するにてこそ候へ。此より後も斯く有らんと氣支しくも候はず。と答ふ。僧熟々と聞きて是を信ぜず。然あらんには別の事も候まじ。關所を事故無く通られたらんには、朋友達に奈良の出家は見附けたるもの哉と語られよ、といふ。二人見知られじと打笑ひ出て行く。奈良と大坂との間に關所有り。何者ぞ、と咎めければ、又前の如く、伊勢に參りたる歸路に候、と言へば、然らば、とて改めたり。怪き事も無きに通さばや、といふ所に、番の座上に有りける老人、物な言はせそ。是非を論ずるに及ばず斬つて捨てよ、と下知しけり。末座より、眞の參宮の者と見え候を斬つて棄てなば、神の祟も恐あり、と再三言ひしかば、二人危き所を遁れて大坂に行き著きたり。東國方の諸將の屋敷には虎落結ひ廻し、大坂の兵士門々を警固して內外の出入も絕えたれば、兼て知りたる材木の商家に行きて大根を買ひ、若や聲を聞知る、と打廻りて大根を賣る眞似しけり。久保田市大夫窓より見て、如何に渡邊に似たる人もある哉、と言ひて大根と一聲呼べば、渡邊、久保田が窓の下に行き、笠を取りて大根を差し出すうちに、宿を問へば云々なりと答へて、材木屋が許にぞ歸りける。野中に斯くと告げて悅び合へり。若原勘解由北の方に屬きて有りけるに、久保田斯くといへば、門を守る大坂の士に斷りて薪を荷ふ人夫三十五人を出し、其中一人を殘して渡邊を其代とし、薪を荷ひて門を通る時、警固の士、此男は今朝出でたる者に非ず、と押留めたり。久しく煩ひて打臥居たるが、快くて今日出たる人夫なり、と言へ共更に聞入れず。勘解由立出でて樣々にいひ斷り、通り得て北の方の前に參り、公の仰を細々と述べて笠の緒を解きて奉る。北の方は簾を隔てて對面あり。其後渡邊に祿增し與へ給ひ、賞せらるゝ事大方ならず。誠に危き所を遁れ得たる事共なり。