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○下野國小山にて上杉入庵議論の事

卷之十二 第5話 · 段落 5 · NDL 1078984 207コマ R

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景勝を征伐せさせ給ふ時、七月二十四日、東照宮下野國小山に御著陣ありける處に、其日伏見より石田三成佐和山を出でて大坂に至り、諸大名と相謀り、亂を起すの旨告げ奉る。則ち先陣の諸大名諸將を召され、東條法印、津田小平太、本多中務大輔、井伊兵部少輔を以て、今度三成兵を擧ぐる間、定めて妻子達を悉く押籠むべし。心中の難義察せられぬ。且豐臣家の爲めに企つる旨申し振らせば、秀吉の恩を請けたる人々多ければ、疾く大坂に赴き妻子の形附け、又は三成に心を寄せられんも少も遺恨に非ず、と仰出されけり。皆疑惑や有りけん兎角の詞無かりけるに、上杉義春入道入菴、末席に有りしが進み出で、福鳥正則1、加藤嘉明、黑田長政に向ひ、各思慮にも及ぶ可からず。人質を三成に出し置き、只今御味方申して其質を棄てば、妻子の恨世の誹も遁る可からず。秀賴公へ出し置きたる人質を三成橫取にしたるなれば、三成と一戰に及ぶとも妻子の恨世の誹も有る可からず。人は兎もあれ我は先御手を引き討死を遂ぐべし。斯く申されければ、皆一同に御味方仕るべしと決定しぬ。其座に是程の事辨へざる人は無きに非ざるも素よりなれども、時に當りて義春の片言拔群に聞えけるとなり。
  1. 誤植 — 底本「福鳥」。振り仮名「ふくしま」から「福島」の誤植か。
又一說に、一座未だ兎角を申さゞる處に、福島正則、何とて石田に從ひて弓箭を取らんや。秀賴公に疎遠だに御座しまさずば、神明に誓ひて正則御味方たらん事勿論なり、と言はれし故、皆一決したりともいへり。
謙信の先陣の大將にて武名世に高し。景勝新發田因幡守治長が謀叛を討ちて、新發田の城下に押つめらるゝ時、治長切つて出で、景勝の先陣を放生橋まで追崩し、景勝の旗本へ押懸る。此時義春、景勝の旗本の先に有りしが、日の丸の旗を取りて三十間許先へ押出し、手廻の士共折り敷かせ、鎗衾を作りて待ちかけたる故、治長引退くを追討にしたる勇將なり。大坂冬陣に二條の御城御書院に諸大名出仕の時、東照宮入菴を召し、上杉家の武者押の事ども御尋ねあり。入菴詳に答へ奉るを聞し召し、上杉家の軍法素より聞及びたる事ども深く感じ入りぬ、と仰有り。諸大名列坐の眞中に、入菴小男なるが言語分明に、其次第誠に懸河の如くなれば、諸將何れも武功智謀の人々なれど、詞を出す者無く、深く感じ入りたる色なりけるとかや。