景勝を征伐せさせ給ふ時、七月二十四日、東照宮下野國小山に御著陣ありける處に、其日伏見より石田三成佐和山を出でて大坂に至り、諸大名と相謀り、亂を起すの旨告げ奉る。則ち先陣の諸大名諸將を召され、東條法印、津田小平太、本多中務大輔、井伊兵部少輔を以て、今度三成兵を擧ぐる間、定めて妻子達を悉く押籠むべし。心中の難義察せられぬ。且豐臣家の爲めに企つる旨申し振らせば、秀吉の恩を請けたる人々多ければ、疾く大坂に赴き妻子の形附け、又は三成に心を寄せられんも少も遺恨に非ず、と仰出されけり。皆疑惑や有りけん兎角の詞無かりけるに、上杉義春入道入菴、末席に有りしが進み出で、福鳥正則1、加藤嘉明、黑田長政に向ひ、各思慮にも及ぶ可からず。人質を三成に出し置き、只今御味方申して其質を棄てば、妻子の恨世の誹も遁る可からず。秀賴公へ出し置きたる人質を三成橫取にしたるなれば、三成と一戰に及ぶとも妻子の恨世の誹も有る可からず。人は兎もあれ我は先御手を引き討死を遂ぐべし。斯く申されければ、皆一同に御味方仕るべしと決定しぬ。其座に是程の事辨へざる人は無きに非ざるも素よりなれども、時に當りて義春の片言拔群に聞えけるとなり。
- 誤植福鳥正則 — 底本「福鳥」。振り仮名「ふくしま」から「福島」の誤植か。