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加藤嘉明
本文表記 嘉明・殿・加藤左馬助嘉明・加藤・加藤孫六郞
濺が嶽七本鎗の事 卷之六 · 2
中村一氏紀州の一揆を追拂はれし事 卷之六 · 1
- p01…に感狀賜ひてけり。一氏は豐臣家諸將の中にも勝れし勇將なれば、加藤嘉明も羨み慕ひて、吾子の明成を式部少輔になしけるとぞ。…
冑の名樣々有りし事 卷之九 · 1
- p01…加藤嘉明の冑は形を富士山に造り爲して、名をも則富士山といふ。具足の胸…
加藤嘉明拔懸高名の事 卷之十 · 5
- p01…ら島に置きて日本の軍船を防ぐ。諸將番船を乘取るべき評定有り。加藤左馬助嘉明、目に餘る大軍を小勢をもて爭か打勝つべき、と言はれしが、密に…
- p01…しが、密に手の者に下知し、五人十人船に乘り番船の方に漕向ふ。嘉明、法を背く者共を押留めよ、とて追々船を出されしが、稍有りて、…
- p01…敵其勢に恐れ、船底に入りて劔を拔き鏃を揃へて待ちかけたるに、嘉明少もためらはず飛込みたれば、從者なにかは殘るべき、續いて飛入…
- p01…とて海に飛込溺死す。佃次郞兵衞、加藤權七郞勝れたる功名せり。嘉明一人の武勇にて七月十六日白晝に押寄せ、番船百二十艘、一艘に五…
- p01…二千石に增祿して十萬石を與へらる。池田家の長臣池田河內が妻は嘉明の女にて、河內が男伊賀は外孫なり。伊賀若き時外祖父に武功の事…
朝鮮より虎と象とを渡す事 卷之十 · 1
- p01…虎を屹と睨まれしに、虎も暫し立止まりて淸正を睨みて打過ぎぬ。嘉明は壁に倚り掛りて居眠して在りしが、虎通り過ぎたる後も初に異ら…
下野國小山にて上杉入庵議論の事 卷之十二 · 1
- p01…けるに、上杉義春入道入菴、末席に有りしが進み出で、福鳥正則、加藤嘉明、黑田長政に向ひ、各思慮にも及ぶ可からず。人質を三成に出し置…
寺澤廣高加藤嘉明度量の事 卷之十三 · 2
河村權七郞が事 卷之十五 · 13
- p01…關ヶ原の亂の時、加藤嘉明の北の方大坂に有りしかば、河村權七郞を伊豫の松前より大坂に遣…
- p01…の軍に首取つたる者に同じからず。然るに恩賞の薄き事、明ならぬ殿なり、とて出奔しければ、嘉明忿りて、探出して誅せばや、と言は…
- p01…らず。然るに恩賞の薄き事、明ならぬ殿なり、とて出奔しければ、嘉明忿りて、探出して誅せばや、と言はれしかば、或山中に匿れ居たり…
- p01…ばや、と言はれしかば、或山中に匿れ居たり。大坂の亂起りし時、嘉明江戶に殘し留められ、不慮の事有らば取卷きて攻殺さん、と言合へ…
- p01…不慮の事有らば取卷きて攻殺さん、と言合へり。其比夜更て河村、嘉明の屋敷の門を叩き、靑木佐右衞門を呼出す。靑木怪み、立出でて見…
- p01…ふる者の忠を致すは常の習なり。然るに過ぎにし大坂の事に誇りて殿を嘲りて出奔しける事、後悔今更益なし。十餘年山中に匿れ居しに…
- p01…ける事、後悔今更益なし。十餘年山中に匿れ居しに、云々の事にて殿も危く御座しますと聞きて、夜を日に繼ぎて參りたり、と言へば、…
- p01…繼ぎて參りたり、と言へば、靑木、誠に義理の志はさる事なれ共、殿の忿甚しければ、斯くと申したりとも許されじ。疾く歸られよ、と…
- p01…內にだに入れず、疾く歸れとは口惜の詞よ。此上は町屋に匿れ居て殿の先途を見ん、と云ひしかば、靑木、さらば先づ申して見ん、とて…
- p01…見ん、と云ひしかば、靑木、さらば先づ申して見ん、とて內に入り嘉明に告ぐれば、それ呼び入れよ、とて軈て寢所に召出されしが、一目…
- p01…しに、河村も淚に咽び、君臣暫詞も無かりしが、河村、思も寄らず殿の御前に出づる事よ。今生の思ひ出に候、と申す。嘉明、汝が志言…
- p01…、思も寄らず殿の御前に出づる事よ。今生の思ひ出に候、と申す。嘉明、汝が志言はん樣も無し、と悅ばれけり。夜明けて、河村こそ來れ…
- p01…村こそ來れ、とて下部迄言ひ囃し、大軍の援有るが如く勇みけり。嘉明寵愛して八千石與へられけり。程無く病死しければ、奧州四十萬石…
佃次郞兵衞伊豫國松前城を守る事 卷之十七 · 11
- p01…佃次郞兵衞十成は、加藤嘉明の左の先手の士大將なり。からしまの船軍に十成敵船に乘移る時、…
- p01…に取附き、直に敵船に乘入つて、船中の者共を撫切にしたりけり。嘉明船數多乘取られし其一つなり。關ヶ原の時、嘉明は伊豫の松前を出…
- p01…切にしたりけり。嘉明船數多乘取られし其一つなり。關ヶ原の時、嘉明は伊豫の松前を出て關東に打向はれしに、十成に、堅固に守れ、と…
- p01…子を質に取り金銀を與へ、能く云含め酒肴を持たせ三津浦へ遣し、嘉明近年松前を領し、仕置宜しからず百姓共困めり。河野一族の人々國…
- p01…の安堵なりと悅び祝ひ申すなり。城中に緣の者候て具に承り候は、嘉明關東へ出陣、軍兵を拂つて連れられし故、今殘り留る者共多からず…
- p01…樣を告げ知せければ、さらば今夜風雨の紛れに一夜討すべし、とて嘉明の貯へ置れし白布を、胴肩衣に裁縫ひて配り與へ、十成は背に松の…
- p01…ければ、終に風早の浦より船に乘り藝州に引退きけり。關ヶ原の後嘉明松前に歸りて戰功を撰ばるゝに、夜討に首取らざりしかば、十成、…
- p01…たるが、薙刀にて村上を突伏せしを間近く見たり、と言ひければ、嘉明、十成が功によりて松前を取られず。殊に安藝の物主三人を討取り…
- p01…狀を添へて、浮穴郡久萬山の庄六千石を與へられけり。慶長十八年嘉明溫泉郡勝山に城を築き松山と名附け、松山の北に別に一廓を構へ、…
- p01…五つ矢倉をあげて十成を置かれぬ。元和元年大坂の軍にも、十成、嘉明の嫡男式部少輔明成に從ひて淀川を渡り、城兵を討取りけり。同年…
- p01…り。同年十成關東に召され、葵の御紋の時服を下されぬ。寬永四年嘉明奧州會津に移りて十成に一萬石を與へられけり。寬永十一年十成病…
本田正信加藤嘉明を諭されし事 卷之十八 · 3
福島正則領國を召放さるゝ始末の事 卷之十九 · 3
塙團右衞門阿波の陣へ夜討の事 卷之二十一 · 7
- p02…團右衞門は遠江橫須賀の人なり。加藤嘉明に奉公して祿千石足輕を預りしに、關ヶ原の時嘉明塙に下知して、…
- p02…の人なり。加藤嘉明に奉公して祿千石足輕を預りしに、關ヶ原の時嘉明塙に下知して、誘き來れ、と言はれしに、塙行きて見るに、諸將皆…
- p02…事口惜しく思ひ、種ヶ島の鐵炮を並べ散々に打立てて歸りければ、嘉明、汝は勇のみ有りて進退の理を辨へず。大將と成りて士卒を下知す…
- p02…飛天地一閑鷗といふ二句を大文字に書きたり。嘉明怒りて、塙が行先の奉公をかまはれしかば、塙所々にて落ぶれ、後…
- p05…餘の木に塙團右衞門と書きて建てたりしを、人々怪み問ふに、塙、加藤嘉明我を憎み、探出して誅せんと言はれしと聞く故討手を待つ、といへ…
- p05…方に行き斯くと語りければ、塙、林が言ふこそ理なれ。されども我嘉明に、士卒を下知せんこと思も寄らずと罵られし事口惜しく、一度麾…
- p05…と思も寄らずと罵られし事口惜しく、一度麾を取り軍を下知して、嘉明に知らせばやと思ひて、其夜も手づから鎗を橫たへ、突いて懸度思…
熊澤了介の略傳 卷之二十四 · 1
- p01…て政を執り、四海に譽高き熊澤次郞八伯繼了介は、本姓野尻なり。加藤嘉明の士野尻藤兵衞一利が子にて、外大父熊澤半右衞門守久養うて嗣と…
飯田角兵衞其主肥後守を諫めし事竝新太郞樣備後守樣へ御敎訓の事 附錄 雨夜燈 · 1
- p01…張りて屹と睨まれしに、虎も暫し踏留りて淸正を睨みて通りけり。加藤左馬助嘉明は初より壁に凭れ懸りて居眠りて在りしが、虎の通りつる後に暫…
武邊は律義者にありといふ事 附錄 雨夜燈 · 1
- p01…、其術を得られず。唯律義者に武邊者多し、と言はれしとなり。又加藤左馬助嘉明も申されしには、氣さきのけなげなる者は、人の目を驚すほどの働…
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