濺が嶽2にて佐久間が人數亂るべきを秀吉見て、近習の人々に向つて、爰ぞ鎗を合せよ、と詞を懸けらるれば、各競ひ進む。福島市松、加藤虎之介、加藤孫六郞、片桐助作、平野權平、脇坂甚內、糟谷助右衞門七人なり。其夜秀吉、今日の七本鎗の者とて呼ばれけれども、誰といふ事を知らず。其時指を折りて數へられしかば、前に進み寄りたり。是より濺が嶽3の七本鎗と世に唱へけり。中にも福島壹番に進んで鎗を合せたる上、首を取りたりしかば、五千石與へられけり。其餘は皆三千石與へられぬ。福島は紙の切裂じなひの指物、加藤嘉明は紫縨、淸正は紙のしで馬簾、片桐は銀の切裂えづる、平野は紙子の羽織、糟谷は金の角取紙のえづるの指物指されたりとぞ。
- 誤植濺が嶽 — 底本「濺」。振り仮名「しづ」から「賤」の誤植か(賤ヶ嶽)。この判には「濺」の活字が一貫して用いられている。
- 誤植濺が嶽 — 底本「濺」。振り仮名「しづ」から「賤」の誤植か(賤ヶ嶽)。この判には「濺」の活字が一貫して用いられている。