濺が嶽1の前夜、石川兵助と福島市松と口論し、旣に刺違ふべき體なりしを、座に有りし面々、明日の軍に身を捨てて高名を遂げらる可きに、こは如何なる事ぞ、と押留めければ、石川、面々の前にて口も得明かざる市松、何とて剛き鎗先に向ふべき。明日我後影を見よかし、と言ひ捨てて出でけるが、直に柳瀨に赴きて只一人眞先に進みて討死しけり。人々其勇氣は嚴しけれども、其怒は戒とすべし、と言合へり。秀吉石川が弟長松に感狀を與へられけり。其文に曰く、
- 誤植濺が嶽 — 底本「濺」。振り仮名「しづ」から「賤」の誤植か(賤ヶ嶽)。この判には「濺」の活字が一貫して用いられている。