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○佐久間盛政生捕るゝ事附久右衞門安次源六郞實政が事

卷之六 第11話 · 段落 2 · NDL 1078984 121コマ R

人物地名家(氏)官職日付索引へ

濺が嶽1の軍破れて佐久間を生捕來る。秀吉見て、汝は武勇逞しき者なり、助けて國を與ふべし。二心無からんや、と問ふに、盛政冷笑ひ、我に國を與へなば、汝を生捕り搦めん事、今日我身の上の如くせん。新に恩を受くるとも柴田を忘れんや、と言ふ。死す可きに及びて、大紋紅裡廣袖の小袖白帷子に空炷して吳れられよ。一生の終りに風流を盡したし。是一つの望なり、と云ひしかば、秀吉其望に任せられしかば、大に悅んで是を著たりけり。玄蕃其時二十七歲。衆人惜み合へり。
  1. 誤植 — 底本「濺」。振り仮名「しづ」から「賤」の誤植か(賤ヶ嶽)。この判には「濺」の活字が一貫して用いられている。
柴田亡びて後、其從士佐久間久右衞門安次、源六郞實政兄弟紀州に遁れ、粉川法師三池を謀らひ、河內霧坂に城を構へ、後亦南河內天野山の國見を要害にして度々軍しけるが、遂に秀吉に攻め落さる。後に小田原に入り、北條亡びて兄弟金澤の稱名寺に在りと秀吉傳へ聞き、伯父勝家の爲に吾を仇とする志、誠に大丈夫と言ふべし。今日本平均しぬれば心を改めよ、とて安次に一萬五千石、實政に一萬石與へて蒲生氏鄕に附けらる。兄弟氏鄕に一禮しける時躓きけるを、人皆笑しかば、氏鄕、物の思慮無く、汝等が奉公ぶりに彼を競ぶる事よ。兄弟とも疊障の士に非ざる物を、と言はれけり。