濺が嶽1の軍破れて佐久間を生捕來る。秀吉見て、汝は武勇逞しき者なり、助けて國を與ふべし。二心無からんや、と問ふに、盛政冷笑ひ、我に國を與へなば、汝を生捕り搦めん事、今日我身の上の如くせん。新に恩を受くるとも柴田を忘れんや、と言ふ。死す可きに及びて、大紋紅裡廣袖の小袖白帷子に空炷して吳れられよ。一生の終りに風流を盡したし。是一つの望なり、と云ひしかば、秀吉其望に任せられしかば、大に悅んで是を著たりけり。玄蕃其時二十七歲。衆人惜み合へり。
- 誤植濺が嶽 — 底本「濺」。振り仮名「しづ」から「賤」の誤植か(賤ヶ嶽)。この判には「濺」の活字が一貫して用いられている。