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○飯田角兵衞其主肥後守を諫めし事竝新太郞樣備後守樣へ御敎訓の事

附錄 雨夜燈 第7話 · 段落 1 · NDL 1078984 439コマ L

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文祿年中朝鮮より虎を引來る。鐵の鎖を附け兩方より七八人取附きて引きけり。朝鮮先陣の諸大將達名護屋に歸り集られし時、彼虎を大力の男數多引張り、㗢と云ひて駈出並び居られし中を通りけるに、人々皆驚き騷ぎ立ちたる處に、加藤主計頭淸正膝立直し、拳を握り臂を張りて屹と睨まれしに、虎も暫し踏留りて淸正を睨みて通りけり。加藤左馬助嘉明は初より壁に凭れ懸りて居眠りて在りしが、虎の通りつる後に暫く有りて目を開き、何事に騷がれ候や。虎を牽き通れる故歟、と閑に言はれしとぞ。主計頭の子肥後守忠廣は大に父に劣れる人なり。或夜近習の士と物語して、我は大力になり度く思ふなり。重き具足二領打重ね著て軍に出でなば、鐵炮の恐ろしき事有るべからず、と言はれしを、飯田角兵衞は父の時より奉公して、度々武勇の働有りける老功の者なりしが、是を聞き進み出て、先殿樣は御具足一領にて、賤が嶽七本鎗の武功より幾度となき軍に御出なされ候へども、終に薄手も負はせ給はず。朝鮮國に攻入りて鬼將軍と異國の人も恐れ奉り候ひき。誠に死生は天命にて御座候。用心の分別にては參る事にて無く候。但し善く戰へば生き惡しく戰へば死すると申す古語の候。國中の百姓を隨分に勞り、家中の士能く心服し奉り懷き從ふ時は、疊の上にても軍の勝負の道理明に分り候故、軍の場に至り候ても千萬の人數手足を使ふが如くになり候。されば御家中の士の著申す具足は、皆大將の御一身に打重ね召され候と同じ事にて御座候。若し御家中の士心々に離れ候ひなば、假令百領千領御具足を召し候とも、何の御用に立ち可㆑申候や。歎かしき御一言に候、と言ひて退出しけるが、先殿には何とてあれ迄には劣らせ候にや、と聲を上げて泣々出でけるとぞ。其後忠廣滅亡せられけり。近頃にも新太郞樣の仰に、取傳へたる大兼平イ光何の用にか立つべき。家中の士の刀を殘らず用に立てさせなんには、向ふ敵は有るまじ。大名の身にて刀一腰を賴みにせんは口惜しき事の至極なり、と備後守樣に御戒有りしも、飯田と同じ理にこそ。