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○山田多門兵衞幼年功名の事

卷之十二 第15話 · 段落 1 · NDL 1078984 216コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

河田の渡を越して岐阜に向ふ前、堀尾信濃守忠氏川岸に陣せらる。池田家先陣の士大將伊木淸兵衞忠次、使を以て、池田が者共川に打入りて後渡され候へ。今度の先陣は池田が承りたるにて候、とぞ申しける。忠氏聞きて、暫く馬より下立ちて吾下知を待ち候へ、と言はれければ、山田多門兵衞十五歲、軍は今日を始なり。馬より下りんとするを、從者、馬より下る事や候。鞍の前輪に取附き俯に成りて待たせられよ、と敎へしかば、山田しかしたりけるに、稍有りて忠氏の旗本に寶螺の聲せしかば、我先にと馬に乘りしに、山田眞先に川に打入りて渡しけるが、遂に一番首を取つたるは從者の物慣れたる故なりけり。後に吉晴此日の勝軍の告を聞き首帳を見られしに、首一つ山田多門兵衞、と錄したるを讀みも終らず、近き頃まで竹馬に乘りたる童の早功名しけるよ。父存命へ居たらんには加何ばかり1悅ばんに、とて淚を流されけり。又梯權八が功名の無きは如何に。討死せんは知らず、功名は二三人の中を外るゝ者に非ず、と怪まれしに、軈て飛脚來りて、權八一番に續いて首を取りけれども、手負ひて帳に記す事遲かりし、と告げたりければ、吉晴、吾見る所よも違はじと思ひつるよ、と云はれたり。
  1. 誤植 — 底本「加」。振り仮名「いか」から「如」の誤植か。