常山紀談本文データベース

目次 › 卷之十二 › e302

○兼松又四郞一柳の陣見切の事附兼松武功言上の事

卷之十二 第14話 · 段落 4 · NDL 1078984 215コマ R

人物地名家(氏)官職日付索引へ

岐阜の城に諸將押寄する時、一柳監物直盛の兵一騎先駈して、川に馬をさつと打入れけり。直盛に附けられける目附兼松又四郞正儀、九尺許の十文字の鎗を提げ、鹿毛なる馬に乘りて堤の上に控へて是を見、天晴剛の者よ。老武者か若武者か、と問はるゝに、直盛聞きて、安井新九郞とて今年二十二三にや成り候はん、と答ふ。正儀、我ならば功名を遂ぐべきに、若武者なれば惜き事よ、と言ひも終らぬに、安井向の岸に待ちかけたる敵の中に駈け入りて討死しけり。直盛馬を蹴立てて進む氣色に見えしを、正儀押止め、早く候、とて稍有りて、こゝぞと云ふ儘に馬を川に打入れられしかば、直盛も劣らじと渡されけり。敵敗北しけるに、正儀閻魔堂の此方にて追駈くる味方を押止むる。直盛、など追討たざるや、と問はるゝに、敵はや陣を整へたり。引返へさば一定味方崩るべし。百々木造は岐阜の古兵なれば、踏止らんと思へども、地の理無くて退くならん。今見られよ返す可し、と言ひも終らぬに、竹林に據りて鐵炮を打懸る。正儀少しも騷がず、相向ふ事暫く有りて、城兵遂に引退く。
一說に、津田藤三郞光イ元房は秀信の士なり。敗軍の中に引返し、朱の物具し赤母衣かけ、鹿の角の立物打つたる冑を著、月毛の馬に乘りて引色に成りたる味方を勵し、散々に戰ひけるを兼松見て、よき敵なり、と目をかけて追駈けたるに、其間十間許になりける時、津田光房引返して城に引取りけり。黃母衣懸けたる武者取つて返し、正儀とわたり合ひ戰ひしが、相引に引くといへり。此時にや、又前に川を渡したる時の事なりや詳かならず。
正儀、敵是にて一面目有るに似たり。此より返さじ、と言はれけり。直盛岐阜の町口にて將机に倚りて鎗を橫たへ、敵出ば一鎗せん、と正儀の方を見やられしに、正儀、否敵は出で候はじ、と云ひしに果して軍は無かりけり。亂鎭りて後直盛正儀を饗し、今度の軍每事仰の中りて候。中にも安井が討死を察せられしは如何なる子細に候、と問はれしに、正儀聞きて、死生有㆑命と申し候ひて如何で人力の及ぶべき。然りながら川を涉りて先陣する時に、馬の上げ場二三十間も置きて敵の前を橫樣に乘り、後に味方續く時大音に名乘るべき事に候。左も無くて唯一騎岸に打上り、敵の眞中に駈け入りて討死すれば、敵に利を得さするにて候。時に依り地に依り進退の仕業變り候物なりと、能老兵に承り置きて候程に、六十に及びて猶存命へ武功をも遂げ候、とぞ語られける。
台德院殿御上京の時、熱田にて國士御目見に出づる時、兼松も同じく出でらる。土井大炊頭利勝を以て今川義元合戰の時功名、利根山にて信長より足半を賜りし事、猪子內匠、兼松と年はいづれ增たるや、と御尋あり。御覺には猪子を年增と思召すとの事なり。兼松承り、信長、義元合戰の時朋輩七八人一所に打立ち候が、馬を乘り損ひ、いな事と見候へば鐙を逆に掛けたり。心中に不吉と思ひ、其日勇み無く進み兼候へば、功名したる者手をふさがず見苦しとて、朋輩共取つたる首の血を甲に塗り、草摺に泥を塗り、朋輩の中に交り信長の前に出づれば、義元の首を信長見て悅ばるゝ時に參り合ひたりき。利根山にて前夜觸有りしに怠りて、信長はや打立たれける故、草鞋履く間も無く跣にて駈附け、首取つたれば信長見て、太刀の鞘に附けられたる足半を賜り候。別にさせる事も無し、と申し上ぐる。利勝猪子と年は如何に、と問はるゝに、それは御見違なり。內匠は我より二つ若し、と答ふ。利勝御覺を御自慢の事なれば、若しと申されなばよかりなん、といふ。兼松、否々詐は申されず、と答へたる儘に利勝申されしかば、大に御感有つて時服に黃金を添へて賜はりけるとぞ。