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○輝政公岐阜攻貝吹右衞門が事

拾遺 卷之三 第8話 · 段落 1 · NDL 1078984 411コマ L

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輝政公關原合戰の前岐阜の城攻の時、合渡の川向に岐阜勢出て、此方より涉るを待ちかけたるに、池田の御人數敵を見て、進み懸り切崩さんと勇みけるを、輝政公兵機を逞くせんために押へて懸らせ給はず、見つくろはせ給ふに、御貝吹貝吹右衞門武功ありたる者にて、最早進み貝を吹き可㆑然、と申上げ、合渡の川へ三里だけ蹈込み、貝を水にて通し、懸り貝を大貝にて吹立つると、池田の諸軍一同に川を涉りて、其勢にて御勝利なり。貝吹右衞門は武藤伊勢右衞門先祖なり。貝吹右衞門、中村勘齋中村源右衞門先祖なりなど高祿の貝役なり。輝政公右御合戰以後每年元朝に表へ御出ありて、始て御言を掛けらるゝは貝吹右衞門なり。表へ御出、吹右衞門目出度、と吹右衞門へ御言をかけらるゝ時、吹右衞門、五百八十年御目出度ござりまする、と御返答申上ぐる事御吉例なり。右の合渡の合戰の時に吹きたる大貝は、大概長さ一尺五六寸許もありて、息弱き者吹かるゝ貝にあらず。一ぱいを吹きたる福田市太夫若盛の時までなり。右の御合戰御勝利以後、關ヶ原御一戰東照宮御利運にて、、輝政1公段々數國を封ぜられ、播磨、備前、淡路三ヶ國の太守となり、百萬石の俸祿を得給ふ。故に此大貝を指して、三ヶ國百萬石を吹出したる御貝とて、寶器となりたる物なり。
  1. 誤植 — 底本は「、」が重複している(一つ分の余白に「、」を二つ打つ)。