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○森寺四郞兵衞飯沼小勘平を討つ事

卷之十二 第12話 · 段落 2 · NDL 1078984 214コマ L

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岐阜中納言の士飯沼小勘平と云ひつるは、四天王と世に言はれし剛の者なり。新加納の軍破れし時、小き堤を前にして居たりしに、池田家の士大將森寺政右衞門忠勝が弟四郞兵衞長勝、飯沼を目がけ、一間餘ありし溝を馬に聲かけてひらりと飛ばせたり。飯沼が左右より鐵炮を打懸けけれども、甲冑に中つて其身は手も負はず競ひかゝりしが、敵は多勢つゞくとや思ひけん、飯沼が者共散り〲になりぬ。森寺馬を乘り寄すれば、飯沼、名乘れ、と詞をかくる。池田が內の森寺四郞兵衞、と名乘る。飯沼、池田が內の森寺ならばいざ、と言ふより刀を抽いて森寺が馬より下りんとする處を、右の膝口を切つたりしかば、森寺左の方に飛下り、馬を隔てて切り合ひけるが、又左の腕に疵を蒙り、今は叶はじと思ひて白刄を握り、掌をくられながら無手と組み、飯沼を抑へ透さず刺通せしが、疲れ果て、首を取りたれども旣に人に奪はるべかりしに、從者久兵衞といふ者走り來り、近づくものを追つ拂ひ、馬に搔き乘せて興國公武藏守利隆朝臣の事此時新藏と稱し申す十四五騎にて控へ給ふ處に、參りて斯くと申す。又國淸公の御前に參りて、飯沼を組んで討つて候、と申しけり。