井伊掃部頭直孝大坂冬陣に物見二人をやる。雨に濡れて歸りければ、樣子を聞きて後、則ち著られし小袖二つを脫ぎて兩人にやられけり。さて安藤帶刀直次へ小袖をもらひに遣はし、我等かやうの事にて、著るもの二つながら家來に遣し、著替無㆑之候、とて帶刀の贈られし小袖を著て革袴にて、權現樣の御前へも度々出でられけるとぞ。今の世を以て見れば、三十萬石の身體にて著替のなかりしといふは、あまりなる事と不審する人もあれども、大樣其節の有樣如㆑此なりしなり。權現樣大坂夏の御陣に、御旅所御用意の事仰せ出されしに、膳米五升、干鯛一枚、味噌鰹節にて事足るべし。味噌も多く持すな、と上意有㆑之候由、斯樣の事なれば、武備は曾て以てはか行難き事なるべし。掃部頭かやうに質素なりけれども、彥根は、湖上より船にて都にゆくに便よかりしかば、太平の後は彥根の士ども大に驕り、風俗あしく衣服美麗になりしを、掃部頭儉約にかへすべき道を積り、江戶より歸る時、木綿の衣服を供の士の數ほど用意し、彥根へ到著の朝俄にくばり與へて著せられけり。彥根の家中、旦那を待受に著かざりて迎に出でけるに、供の士一同に木綿なりしかば、不審する所に、旦那掃部頭、いかにもよごれたる木綿の衣を著られ、駕籠の戶を開き、それ〲に言葉をかけらるゝを見て、己が身を顧て、りつぱの衣服引さきたき心地して、それより人質素に成りけるとぞ。國淸院樣、村々庄屋に高一石に附米二升宛免ゆるし候へ、とて、年號月日堀甚五兵衞殿、と御自筆に遊ばされたるを、今其家に持傳へたり。百萬石の御身の上にて、斯く有りけん事怪しき程の事なれども、是は戰國の世とも申すべし。新太郞樣こゝの竹を栽ゑて杭にせよ、何村の種米はかやうにせよ。何の役はかやうにせよ、と云ふ類、御自筆に遊されたる御書の、予が曾祖父に下されたる數十通、箱一つに有りて傳へたり。今は斯樣の事は郡代も知らざる體なり。衰へたる世の有樣にこそ。太平久しく亂を忘れて人々油斷し、暖なる儘に士の風俗以の外になりて、明暮酒もり茶の會に無益の費をし、川遊物詣に日を送りて、禮儀の方には心をも附けず。馬具武具いかに成りたらんをも知らず。多く町人の家に質に遣はし、物語するを聞けば、女色の戲言のみにて、士の道はつゆ語り出しもせず。又儉約に事よせて利欲に耽り、あらぬむさき事をしても恥とも思はず。親族朋友の難義を救ふ心もなく、人の物を借りて返す事を忘るゝ類、口惜き世のありさまなり。但し此事は士の上はかりにも非ず。すべて天下の人を四つに別ちて、士農工商とする事は、古より定りたる事なり。其重き士を數多持給ふを大名と申す事なれば、天下の貴人は大名にてぞ御座します。然るに今の大名貧乏にさしつまり、買ひたる物の價を遣らず、國中の士民の艱難を救はず。四民の中の第一の下劣の町人を賴み、金銀を借り、其にて漸取續給ふこと、口惜き事の至極なり。天下の貴人として天下の賤しき町人に手をさげて、彼等が料簡によりて、漸に身體を持せ給ふといふ事やはあるべき。されども世のならはしと成りたれば、是を恥とも思はず御座しますこそうたてけれ。つく〲思慮おはしまさば、大名の恥辱此上やあるべき。されば古より、質素を能き事に奢をあしき事とするは、故ある事ならずや。