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○大津城合戰京極家の士戰功の事附赤尾伊豆が事

卷之十四 第3話 · 段落 5 · NDL 1078984 234コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

高次は關東に素より心を寄せられしを、大坂より朽木河內守元綱を使にて、秀賴公の外戚たれども江戶大納言殿にも緣有れば、人の疑を散ぜん爲に幼息熊若丸を人質に出され候へとなり。高次、輕々しく敵の色をも立て難し、とて止事を得ず熊若丸を出して北國に軍を出されけるが、岐阜の城落ちたる由を聞きて、北國に向ひたる人々大垣を指して引返されしかば、高次北の庄より直に海津にかゝり、九月二日の夜半に大津に歸り、立花宗茂、筑紫廣門、粟津に陣せしを夜討にせんと謀られしに、黑田伊豫同心せずして止みぬ。さらばとて關寺の門を閉ぢ城下の兵粮を取入れ、專ら防禦の支度せられけり。宗茂、廣門、石部より引返して勢多に陣取り、輝元の陣代毛利元康等は三井寺に陣し、久留米秀包、南條中務を始として三萬七千餘四方より押寄せたり。中にも宗茂の軍兵は激しう攻めつめて、死人をふみ越えて乘入らんとす。防兼ねて京口の旗を絞りければ、多賀出雲守眞先駈けて塀を打破り、三の丸に閧を作りかけてひた〱と押入りけり。山田大炊、赤尾伊豆、足輕頭には井口左京、大橋肥後、安養寺門齋、使番山田三右衞門、橫山久內、田中茂兵衞、茨川口を固めたるに、京口より敵亂入りしかば、二の丸指して引退く。高次使を以て、何とて三の丸を捨てて早く二の丸へ引取るや。仕寄を附けられなば、防ぎ難かるべし。早く敵を追出せ、と下知せられしかば、門を開いて切つて出る。山田大炊十文字の鎗の鐏を片手に取つて冑の上にて振廻し、參る〱と呼はり懸けて、一番に鎗を合せ敵二人突伏せたり。此を山田大炊が茨川口の鎗と世に稱しけり。赤尾は猩々緋の羽織を著て長身の鎗にて數人突伏せ、山田三右衞門も散々に戰ひけるが討死せり。二の丸に引取る時、山田と赤尾と代る代る六度まで返し突拂ひたる殿の振舞、目を驚しけり。二の丸の門際にて、赤尾、山田已下蹈止りける時、唯少齋門をたて關貫をさす。赤尾ちつともひるまず、長身の鎗を傍に置き、敵の方へ足を投出し草鞋の紐を結び直す。其武者振を敵見て少しためらふ時、少齋門を開けば中に入る事を得たり。赤尾、棄殺さんとしたるよ、といひしに、少齋、敵追縋りて二の丸に攻入らんとする故にこそ門をさしてけれ。各を助けん爲に城の危きを忘るべきや、といひければ、さばかりの伊豆も答ふるに詞なかりけり。黑田次郞兵衞、尼子宮內、安養寺長門、三田村安右衞門、今村掃部、赤尾久助、中井民部、小豆掃部、油井周防等は京口を防ぎけるが、三の丸へ攻入り、敵と戰うて討死少からず。銚子五郞兵衞は始め關白秀次に奉公せしに、飽まで酒を好きけり。或時朋輩に語りけるは、殿下の側に立置かれし白熊、色白く丈長し。あはれ冑の上に亂しかけて軍の先駈せん物を、といひしを秀次聞きて銚子を呼びて、是を肴に酒を呑め、とて彼白熊を與へられしかば、銚子、誠に有難く存候。戯れに申せし詞知召されて候やらん。若し此の後軍の有らん時先に申せし詞を如何にせん、といひけるが、今日栗色のしほ革に金の筋附けたる羽織を著、彼の白熊の雪の如くなるを冑の上に亂しかけ、十文字の鎗を橫たへ、尾關甚右衞門と共に亂れ入る。敵五六人突伏せて冑の錣を傾け、一足も引くまじいぞ、と呼はり討死したりけり。事ふる君は異れども、賜ひたる白熊にて、敵味方の目を驚す討死をぞ遂げたりける。尾關は元柴田勝家に仕へしが、後高次北國より歸られし時、尾關を近づけ夜酒を酌みて密に囁かれけるは、吾石田に與するに非ず。歸りて大津の城を守らんと思ふなり。敵の眞中に小勢を以て軍せん事尤難き事なり。汝が智勇を賴む、と語られしに、尾關淚を流し、人々いくらも候中に、何と思召されて斯仰せ候ぞや。此上は二つなし、と答へければ、高次、汝討死すべきや。我爲に命を捨てんと思ふ者多けれど、謀を同じくする者稀にこそあれ。汝偏に討死とのみ思へるは吾志に非ず、といはれしかば、尾關、斯く身に餘り候御詞を承りては、骨を刻まれ候ほどの堪へ難き事ありとも、此恩に報じ奉らん、といひしが、此時銚子と倶に戰死せり。後高次城を出でられける時、赤尾と山田と高次の輿の左右に供しけるを見て、寄手の軍兵指をさし、彼の大膽者よ、と云ひ合へり。
一說に、伊豆茨川口の敵を追拂はんとて出でける時、跡をば弟の久助、內田太郞左衞門、多賀孫左衞門等守りけるを、寄手きびしく攻むる。久助手負ひて、吾は本丸に引退かん、といふ。內田聞きも敢ず、昔熊谷が子の直家薄手ならば討死せよ。痛手ならば自害せよといひし事、弓箭取る身の詞なり。爰を逃げんとは口惜しき事よ。大剛の伊豆が弟に汝が如き人の有りけるこそ怪しけれ、と罵りけり。內田は銀の馬櫛を冑の立物にしけるに、銀の馬櫛よと褒めける程の物師なり。敵今村掃部が持口を破りて亂れ入りしかば、伊豆ふり返り見て、三の丸は取られし、とて引返す。人々、敵旣に攻入りて入るべき方なし。京洲イ州の丸より入らばや、といへども伊豆少もひるまず。初出でたる所より入りなんこそ由々しかるべけれ、とて鎗を提げて敵に向ふ。伊豆に從ふ者四十五人、下部は皆逃散りて、伊豆が若黨一人、平野藤兵衞と云ふ足輕一人殘り留れり。伊豆群立つたる敵を物ともせず、蜘手十文字に追立て、散々に戰ひけるに、敵尙烈しく進み來りしかば、尾關甚右衞門、銚子五郞兵衞二人土橋の上にて返し合せ、大音あげて、存ずる子細ありて討死するよ。寄つて首を取れ、とて面もふらず切死にぞしたりける。其隙に赤尾そこをつと行過ぎて城際に至る。門の外の柵に簀戶有り。赤尾簀戶を締めよ、といへば、平野靜に簀戶を締めたり。門を開けよ、といひしかば、少齋法師武者にて門を固めて有りしが矢倉に上り、味方とは知りたれど敵附入りにすべし。人は輕く城は重し。爰こそ死すべき處なれ。華かに討死せられよ。是より見物せん、といふ。赤尾石に倚りかゝりて息を吐き、九尺許なる鎗を下に置きて脚胖の紐を結び直す。敵簀戶を破りて押寄する處を、八十餘人の兵ども爰を限りと面も振らず突きかゝる。赤尾靜に緒を締終りてつと立上り、赤尾伊豆とは知らずや、と名乘りて、亂れ入る敵を念なく突退け追出す。少齋矢倉より鐵炮を嚴しく打出させければ、立花の勢も餘に手いたう防がれて引退く。斯くて少齋跪いて鎗の穗先を門の潛戶に當てて、一人づつ靜に入れてけり。斯くするは無禮に候へども門を守る法なり、といふ。皆入終りて伊豆と平野と二人門外に殿して殘りけるが、平野は赤尾に、先づ入れよ、といふ。赤尾は平野に、汝先入れよ、とて終に赤尾後れて入りけると云へり。
信長江州小谷の城を攻む。淺井長政勢盡きて旣に自害せんとする時、不破河內を以て、緣者の好降參あらば疎意あらじ、と云はせらるゝに、長政降參すべき志に非ざるを、近習の士共、よも別の子細も候まじ。城を出て運を開かれ候へ、といふ。さらば父下野守も共に疎意無くば降參せん、とて城を出づるを、信長見て、長政何の面目有りて今更の降參ぞ、と高聲に呼はらせられしかば、長政忿りて赤尾美作が宅に入りて自殺せり。淺井石見、赤尾美作、いざ切死せん、とて駈入りけるを、多兵押隔て生捕りて信長の前に出す。信長、汝等長政を勸め朝倉に與して吾を敵となす。なれる果を見よ、と罵らるゝに、淺井居直り、事新しき事を承り候もの哉。義景を別事なく立置かんとの誓文、其血も未だ乾かざるに越前に軍を出し、是によりて長政義の當る處にて義景に與したり。今日城を出でよ。疎意有らじ、と僞りたる詞を押しはかり、只自害と一筋に決したりしに、若天運によりて家を立つるならば、信長を斯の如く搦めんと思ひしに斯く成りたり。義を知らず恥を知らざるは信長こそ人面獸心なれ、といへば、信長彌怒りて、汝詞にも似ず、生捕れたるは如何に、と罵らるゝに、年老ぬれば力に及ばず。昔より士の生捕となる事恥に非ず。武勇を以て敵を討ち得ず。僞りたばかりて人の國を亡すこそ恥なれ。見られよ、必ず下人に首を切らるべし、と罵り返せば、信長杖を以て打たれしに、石見打笑ひ、搦めたる者に斯るはからひ、天晴良き大將の禮儀かな。如何程も打てや犬坊、と罵りけるが、石見も美作も終に殺されけり。
伊豆幼かりしが僧と成りて多賀に匿れ居しに、十二歲の時多賀明神の鳥居の邊にて遊びける處を、いづれの家の士にや十二人打連て通りしに行當る。士怒つて、小僧め無禮なり、とて拳にて頭を打つ。伊豆飛び懸り、其士の刀を抽いて只一打に切りはなし、つと走りぬけて赤尾に匿れ居たりしが、後京極に仕へけり。