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○高次大津の城を出でられし事

卷之十四 第5話 · 段落 2 · NDL 1078984 238コマ R

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高次大津の城を守りて固かりければ、高野の木食上人を以て和平を執行ふ。高次更に同心無かりしに、さしもの長臣黑田伊豫、寄手に心を通じければ、力なく和平して城を出で、京都大佛の養源院に立寄り、それより高野に赴く。關ヶ原記に三井寺に立寄るといへるは謬なり三成亡びて後、東照宮高次を召しけるに、今度諸將皆大功有りし人々なるに、吾城一つ守り遂げざりし身の立ちまじらん事口惜し、とて出でられず。又使を以て御物語有りたき事あり。尙出られずば我行かん。年老たる身を勞せられんよりは若役に、と仰出されしかば、高次辭し難くて出られけり。東照宮、此度城を攻めける敵兵大垣に到る程ならば、關ヶ原の軍危かるべきに、九州の大軍を數日隔てられし故、我軍の援となりし事、大津城中の軍兵殘りなく關ヶ原に來りしよりも遙に優れり。敵より乞ひたる和平なれば恥に非ず、と仰せらる。大津にての事なれば近江にて四十萬石賜ふべし、となりしに、高次聞きて、斯く賞せさせ給はば、關ヶ原にて大功の人には百萬石を賜はるべきか、思も寄らず、と固辭申されけり。
一說、關ヶ原の軍敗れて、東照宮大津の城に入らせ給ふ。山岡道阿彌供奉しけるが、京極宰相よく持堪へ候に、今少の事にて本意を遂げず、と申しければ、御答なく奧平が長篠にて武田を防ぎしに、戶障子に鐵炮の玉の痕鹿の子をゆひたるが如く、土も落ち板も脫けたるを、筵を張り疊を立て持堪へたり、とぞ仰せける。又高次の使者多賀孫左衞門大坂に參りけるに、御前に召して京口の旗を早く絞りし故、敵攻入りたる、と聞召す由仰せ有りしかば、口惜く存候由いひて淚を流しけり。さて井伊、本多に向ひ、下部の申す木履に雪の附きたる如くなる御出馬に、破行燈の如き城に高次なればこそ數日敵をば支へ候へ、と言ひければ、戯れながら理なり、とぞ答へられしといへり。