慶長十九年黑田孝隆入道如水、病重く成りて子の甲斐守を呼び、汝は親に優れる事有り。我も亦汝に優れる事二つ有り。語つて聞かせん。今我死なば我士は言ふにや及ぶ、汝が士大將より士に至るまで悲み嘆くべし。汝死して我存命へたらば、誠に大なる逆事なれ共、如水御座しますとて力を落す士有るべからず。是人の懷き從ひて吾に服する事、汝に勝る其一つなり。次に我は無雙の博奕の上手なり。關ヶ原にて石田今暫く支へたらば、筑紫より攻登り、下部のいふ勝相撲に入りて日本を掌の中に握らんと思ひたりき。其時は子なる汝をも捨てて一博奕打たんと思ひしぞかし。又紫の袱に包みたる草履片足に木履片足取出し、軍は萬死に入りて一生に會ふ習なり。十全を思慮しては叶ふまじ。例へば草履木履を穿きたる如く、二つ物がけの軍をする心得せられよ。汝は才智有りて先の事を豫め料る故に、大功は努々叶ふまじ。偖面桶と云ふ物は飯を盛る物よ。上天子より下百姓に至るまで、一日として食物無くては世に存命ふる者は無き事なり。國を富し士卒を强うするの根本一大事、此飯入に有り。必ず忘るべからず。斯る故に此面桶を形見に參らす、と言はれけり。