同役十五日の未明赤坂の惣勢關ヶ原へ打出で、辰上刻內府公、野上村西海道の南桃栗原と云ふ山に御旗を立てらる。御旗本組段々の御備、關ヶ原町東の端迄十二町程あり。御先は則ち福島左衞門大夫、同刑部少輔、京極侍從、藤堂佐渡守、有馬玄蕃頭、山內對馬守、田中兵部少輔、二番備黑田甲斐守、竹中丹後守、三番備下野守忠吉卿、井伊兵部少輔、本多中務大輔、酒井左衞門公、御馬先は、御小姓組段々の備五の字の御使番、五色の御母衣組、御馬印、金銀の半月切裂金の扇子は、大久保彥左衞門御馬の先に進みたり。今日未明小雨降り霧深く、物色見え難し。漸巳の刻初に天明れたり。時に御旗本より武者二騎乘出し、敵味方備の虛實考へ乘戾る。これ則ち曾部江法齋、森勘解由なり。異本澤井左衞門奧平藤兵衞巳上四騎物見出でたり筑前中納言陣松尾山と、內府公御旗本其間三十町に足らず。石田三成陣と公の御旗本と其間三十五町に、敵方東軍の旗先を見かけて則ち藤小川を打越し、小關村の西巽に向つて段々に備へしむ。備前中納言大谷刑部少輔、平塚因幡守、戶田武藏守、同內記等は山中峠に人數を立てしが引下し、谷川を打越え關ヶ原の北の方へ押出し、西の山を後にして足輕をかけ、鐵炮を打立て矢を發す。此手に當る東方福島左衞門大夫、同刑部少輔、藤堂佐渡守、黑田甲斐守、京極侍從北の山より押下し、靜に懸り合戰、身方犇と取結び、地煙を立て攻戰ふ。さる程に宇喜田秀家無二の西方太閤の御時より五大老の其一人、今日の長將なれば、八千の人數五千先手三千旗本にして、福島先手へ平懸に懸り、面を振らず突立追崩し、二の手より秀家采配を振り正則ともに討取り、天下の面目に備へよ、と息をもつがず突懸る時に、正則下立ち、芝居に折敷き鎗を持ち、返せ者共、敵は前後一つに成りたり。味方勝つべき圖此處なり。正則此處に在り、と下知し給へば、福島勢盛返すと見る內に、惣返と返し勇懸る。宇喜田勢を旗本ともに追崩す。此時秀家千の備なりとも、二の味方に用ひ給はば勝軍なるべし、と云へり。此戰半に、名島秀秋備より大谷刑部備へ突懸る。則ち吉隆馬上に自害す。毛利秀元戰場にて東方へ返る。此色を見て諸手の敵崩色附きしと云へり。