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平塚為広
本文表記 平塚・平塚因幡守・平塚因幡守爲廣・爲廣・平塚因幡守吉就
大谷吉隆平塚爲廣最後合戰和歌贈答の事 卷之十三 · 9
- p01…とも益あらじ。此上は命を秀賴公に奉るの外他の道なし。士卒は皆平塚に下知せさせて候へば、其志許し難しと雖も、よも別の事は候はじ…
- p01…、其志許し難しと雖も、よも別の事は候はじ、とて伊益の驛に至り平塚に告ぐれば、平塚大に驚き、三成志大なりと雖も大軍を率うべき將…
- p01…雖も、よも別の事は候はじ、とて伊益の驛に至り平塚に告ぐれば、平塚大に驚き、三成志大なりと雖も大軍を率うべき將畧なし。然るに斯…
- p01…に押し出し、鎗衾を作りて秀詮に向ふ。吉隆は目を病みて士卒は皆平塚に下知せさせ、練絹の小袖の上に村蝶を墨にて書きたる鎧直垂を著…
- p01…べし、と下知しければ、木下山城守、大谷大學、戶田武藏守重政、平塚因幡守爲廣、今日を最後と思ひ定め、面も振らず切つて懸りしかば、秀詮の先…
- p01…ゝる。されども死狂ひする鋒先に、秀詮の先陣又追立てられけり。爲廣敵數多討取り、其首を吉隆に送り、此首自ら討取候。冥途の苞に參…
- p05…斯くて平塚は戰ひ勞れて、畔に腰かけ息吐ぐ處に、小川土佐守祐忠が兵樫井太…
- p05…け息吐ぐ處に、小川土佐守祐忠が兵樫井太兵衞鎗を提げ步み寄る。平塚立上り、我は平塚因幡守なり、とて散々に戰ひけるが、終に倒れな…
- p05…川土佐守祐忠が兵樫井太兵衞鎗を提げ步み寄る。平塚立上り、我は平塚因幡守なり、とて散々に戰ひけるが、終に倒れながら十文字の鎗を投出し…
島原落城の砌平塚勘兵衞比類なき働の事 拾遺 卷之一 · 1
- p01…塀下へ附き其働比類なし。但し平塚勘兵衞重近は、秀吉公御いとこ平塚因幡守吉就が甥なり。乃美庄右衞門は、小早川隆景家老浦兵部大夫宗勝が孫な…
同御合戰毛利秀元戰場にて東方へ返る事 拾遺 卷之二 · 1
- p01…小關村の西巽に向つて段々に備へしむ。備前中納言大谷刑部少輔、平塚因幡守、戶田武藏守、同內記等は山中峠に人數を立てしが引下し、谷川を…
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