○佐竹義宣國替の事竝車野丹波が事
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駿府にて東照宮御物語の序に、篤實なる人は世に稀なり。我年老ぬれ共多くは見ず。佐竹義宣其人なり、と仰せられしを、永井右近大夫直勝承りて、如何なる故にや、と申すを聞し召し、石田治部と七人の大名と大坂にて爭論の時、義宣と三成と元より親有りし故、三成を打具し伏見に來り、其後三成佐和山に歸る時、七人の面々道にて討取るべしと言ふ由を聞き、三河守を添へたりしに、義宣、三成を討たせては生甲斐無しとて道々に物聞を出し、其身は物具して、告げ來るを待ちて打出でんと用意有りしと聞く。是篤實に非ずや。關ヶ原の亂の時も大坂より賴みたる故、吾に其由を告げて何方にも組せざりき。逆亂に與したるには非ざれ共、捨置難くて先祖より已來の國を削りたりき。篤實の善き事いふに及ばずと言へ共、國の存亡に關るべき事には、又一思慮有るべき事にや、とぞ仰せられける。