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○佐竹義宣國替の事竝車野丹波が事

卷之十六 第3話 · 段落 4 · NDL 1078984 260コマ R

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伏見にて義宣の八十萬石を六十萬石削られ、出羽の秋田二十萬石賜りけり。若辭むならば其儘討亡すべき體なれば、義宣北國を經て秋田に赴きけり。水戶の城を奪ひ取れ、とて本多正信等向ひける時、車野組に附きし士六人と倶に物具し、新羅三郞より傳へたる城を人に授けん事こそ口惜けれ。我と思はん人々は城を枕に死ねや、と呼はり、城中に駈入りしを、大手にて本多等、大軍にて押包み生捕りて磔にかけ、火の車の指物を括り添へけるを、東照宮聞し召し、武家の道を知りたる者を空しく殺しけるよ、と歎かせ給ひけり。
駿府にて東照宮御物語の序に、篤實なる人は世に稀なり。我年老ぬれ共多くは見ず。佐竹義宣其人なり、と仰せられしを、永井右近大夫直勝承りて、如何なる故にや、と申すを聞し召し、石田治部と七人の大名と大坂にて爭論の時、義宣と三成と元より親有りし故、三成を打具し伏見に來り、其後三成佐和山に歸る時、七人の面々道にて討取るべしと言ふ由を聞き、三河守を添へたりしに、義宣、三成を討たせては生甲斐無しとて道々に物聞を出し、其身は物具して、告げ來るを待ちて打出でんと用意有りしと聞く。是篤實に非ずや。關ヶ原の亂の時も大坂より賴みたる故、吾に其由を告げて何方にも組せざりき。逆亂に與したるには非ざれ共、捨置難くて先祖より已來の國を削りたりき。篤實の善き事いふに及ばずと言へ共、國の存亡に關るべき事には、又一思慮有るべき事にや、とぞ仰せられける。