安藝中納言毛利輝元は、關ヶ原の時秀家と共に德川家に弓箭を取られしかども、關ヶ原に自ら赴かざるの故に、安藝、備後等の國を削られ、長門、周防、兩州を賜はりけり。是より前小早川隆景遺訓して輝元を諫められし中に、毛利家五十餘郡を領し、富貴誠に溢れたりと言ふべし。此より後苟にも國を貪る心有らば忽ち滅ぶべきよ、と戒められしに、輝元、隆景の戒を忘れ、果して國を削られたりき。隆景先見の明かなる露も違はざりけり。隆景は武勇のみに非ず智謀に優れたり。父元就、病重くなりて其子を集め、兄弟の數程箭を取寄せ、多くの箭を一つにして折りたらんには細き物も折難し。一筋づつ分ちて折りたらんには容易く折るゝよ。兄弟心を同じくして相親むべし、と遺言せられしに、隆景その時、爭は欲より起り候。欲をやめて義を守らば兄弟の不和候まじ、と言はれしかば、元就悅びて、隆景の詞に從ふべし、と言はれしとぞ。秀吉九州を討平げられて後筑前五十萬石を小早川に與へられしに、隆景、之は吾に過ぎたる事なり。此頃まで敵なりし身に大國を與へらるゝは、吾を愛するに非ず。九州を懷けん爲の假の謀よ、と思ひて秀詮に國を讓り、備後の三原に引籠られしとなり。