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○浮田秀家八丈島へ配流の事

卷之十六 第1話 · 段落 5 · NDL 1078984 259コマ R

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備前中納言浮田秀家は、關ヶ原の時一萬八千を帥ゐられしが、軍敗れて近江の伊吹山に懸り落ちられし。美濃の白樫村に暫し隱れて有りしに、遂に忍びて西國に落下り薩州に著かれしに、其事聞えて東照宮死罪一等を宥めさせ給ひ、八丈島にぞ流されける。まことに苫葺く庵、竹編める戶に、雨もたまらず風も防がねば、黑木の柱を削りて書附けらる。
もしほ燒くうきめかる身は浦風のとふばかりにやわぶと答へん
秀家、備前には誰か有る、と問ふ。新太郞少將と答へ申すに、誰が事ならんとて家老の姓名を聞きて後、さては池田の家にて有りけるよ。又所々に城多きや。城の北に伊勢の宮を設け置きたるが如何なるぞ、と問ふ。伊勢の宮は候。されども士の家犇と相並び續きて候、と答へければ、さては世は治りけり。亂世ならんには國境の城に士を分ち置き、岡山には士の家多かるまじきに、今の有樣にて治まれる趣を知りたり、と言はれしとかや。われこそはにひ島もりよおきの海のあらき波かぜ心して吹け