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薩摩国
本文表記 薩摩・薩州
道雪仁愛深かりし事 卷之八 · 1
- p01…語られける。彼者傳へ聞きて心に慙ぢ、又道雪の仁愛に感ず。其後薩摩の軍鎧が嶽の城を攻むる時、道雪城を出て戰ひしに、大軍押懸り危…
高橋紹運討死の事附立花統增薩摩に囚るゝ事 卷之八 · 10
- p01…今斯く衰へたり。然れ共今にも秀吉公大軍にて九州に渡らせ給ひ、薩摩に攻め入られんに、鹿兒島の破れん事も遠からじ。勢盡き運衰へぬ…
- p06…に先だちて寶滿が嶽に入れられし故、害に會はずと言へり。又紹運薩摩の軍を見渡したるに、馬煙黑く押來る。紹運人々に向ひ、今押來る…
- p06…行ひ、壇を築きて家久香を燒き再拜しければ、義を感ずる國風にて薩摩武者皆燒香して淚を流し、紹運を稱美しけると言へり。又一說に、…
- p06…て有りしかば、俄に騷ぎ立ちて防戰の備す可き樣も無し。七月七日薩州の軍筑後川を涉り、其明の日廣門の館を取圍み廣門を虜りたり。同…
- p06…、夫より一同に九州の亂に及べる根本の人なれば秋月に腹切らせ、薩州の兩將より、今度の弓箭は京都又豐州への遺恨に非ず。筑紫廣門が…
- p06…れ共、深く寄手も勞り養育しけるとぞ。統增此時寶滿が嶽に有り。薩摩の兩將使を以て、城を渡されよと云ひ送る。統增今年十五歲なり。…
- p06…の關に押込められし母を奪取り給はらんや、と賴れしに、龍造寺も薩州と弓箭を取るべき志有りしかば、心得候、とて堀江覺仙と言へる者…
- p06…、とて堀江覺仙と言へる者に軍兵數多指添へて、北の關に押寄せ、薩州の番の者を追散し、紹運の後室を奪ひ取り頓て立花へ送り屆けたり…
- p06…立花へ送り屆けたり。後室此比は法名を宗雲と言ひしとぞ。斯くて薩州には統增を八代へ移し、高津加の法華寺に置きて、警護の兵に嚴し…
- p06…りぬ。謀も爲可き術なく日を送りけるに、尙心元無くや有りけん、薩州に移し下堂院と云ふ所に置きけり。秀吉九州へ渡海し、先陣薩州千…
志賀親次山海が嶺に兵を伏する事 卷之八 · 2
薩摩勢根白の砦を攻むる事 卷之八 · 5
- p01…時、大和大納言秀長、近江中納言秀次八萬餘、島津が豐後府內より薩摩へ引退く後を追うて亂れ入り、高城賤部の城を取圍み、附城五十一…
- p01…する時、兼て巧みたれば控の綱を斷ちて柵を堀の中へ倒せしかば、薩摩武者討るゝ者八百餘人に及べり。義弘愈怒り進んで、屍を蹈み越え…
- p01…。斯りしかば秀長三萬許にて耳川に打向ひ、根白の方を見渡せば、薩摩の軍兵雲の如く取卷きて、鐵炮の音閧の聲矢叫相交り、天地も動く…
- p01…を打入れて川を渡り、敵の後陣を取切らんと進まれければ、是より薩摩の軍亂れて敗北しければ、義弘の從子三郞忠親踏み止りて討死しけ…
- p01…きて髻に結附けて候ぞ。疾首を刎ねられ候へ、とて皆殺されけり。薩摩の人の勇氣こそ由々しけれ。秀吉宮部には日本無雙と言ふ感狀を與…
島津義弘關ケ原退口の事附大坂の商賈義氣の事 卷之十三 · 5
浮田秀家八丈島へ配流の事 卷之十六 · 1
- p01…し。美濃の白樫村に暫し隱れて有りしに、遂に忍びて西國に落下り薩州に著かれしに、其事聞えて東照宮死罪一等を宥めさせ給ひ、八丈島…
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