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○永田治兵衞功名の事附樫井合戰の事

卷之二十三 第13話 · 段落 2 · NDL 1078984 356コマ L

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永田治兵衞は平生多病なりしかば、何の用に立つべき、と人のいふを以て、下部こそは健なるがよけれ。士は義と勇とにあり、といふを、人々、詮方無くていふ詞なり、と又嘲りけるに、泉州樫井にて淡輪六郞兵衞が首取つて旗本に行く。平生多病の男斯る振舞し候に、無病の人達今日功名無く候や、といふに、答ふる人無かりけり。又上田主水は宗古といひしが、石田に與して淺野幸長に預け置かれしが、茶の湯を弄びける故、殿の國こそ大きなれ。一萬石の茶湯法師を召置かれたり、と譏りけるに、幸長聞きて、上田に脇差を與へ、汝を誹る者有りと聞く。必ず大切の時に功名する心得有れかし、と詞を懸けられしかば、上田、事に臨みて刃に血を染め申さん、といひしを、又、鼠の血ならでは附け得じ、と言ひけるが、樫井にて目を驚かす軍して討取りたる首を提げ、幸長の日出の王子の陣に至りて、士犇と幾らも並居たる處にて、茶湯法師に劣られし人々よ、と言ひけるに、兎角いふ人無かりけり。
樫井の軍は大坂夏の事にて、大野主馬大將にて、塙團右衞門先陣して和泉に攻入りけり。岡部大學塙が武功を嫉み、拔駈して阿部野を和泉路に指して進み行き、四月二十八日夜明けて、國府の東の山に烟の立つを、岡部が士共、すはや相圖の火の見ゆる、と勇み、蟻通明神の北より貝塚指して進み行く。淺野長晟は信達に陣せしに、大坂より大軍寄すると聞き、樫井に引返すを、塙、我行きて敵の體見て來らん、とて唯一騎、淡輪六郞兵衞といふ案內者を引具して馳行く處に、岡部を見つけ、塙馬の上より、拔駈したりしよな。今朝よりの軍を聞かん、と罵る。岡部、敵無ければ功名も無し、といふ。互に相罵りけるが、彼なる安松を燒拂ひたらばよかりなん。又蟻通の松原に伏兵有らん。覺束なきに後陣の續くを待たん、とて物見を出す。長晟の士大將淺野左衞門佐安松に來りて、龜田大隅に、疾く兵をあげられよ、といへり。又塙が物見乘歸りて、敵近く候、といふを、岡部聞きて、冑を取りて著、馬に諸鐙を合せて駈出す。塙、如何に後陣を待たれよ、といへども耳にも聞入れず。塙怒りて、汝に先を駈させんや、と言ひて是も馬を乘出す。龜田は殿して引退く處に、透間も無く追懸けたり。大隅は討死までよと思ひ定めて、石橋によりて十文字の鎗を橫たへ待ちかけたりしに、淺野左衞門見て、何とて軍したる、くせんといふ事ぞ、とて、引退かれよ、といふ。上田主水は樫井の家の中に隱れ居て左衞門を遣過し、後に殘り居しに、淡輪眞先駈けて馳入る處を、永田治兵衞討取りたり。斯くて大坂方馳寄する處を、上田主水鎗を提げて散々に相戰ひ、山掛三郞左衞門と引組みたり。橫井平左衞門、橫關新三郞駈寄りて山掛を討取りぬ。龜田を始として殿の者共、面も振らず喚き叫んで相戰ひしかば、大坂勢敗北す。塙は田子助左衞門が射ける箭に痛手を蒙り、十文字の鎗を取延べ、田子が弓の弦を突切る。八木新左衞門透さず走り寄りしかば、塙家の壁に凭れて、思ふ程働きて終に討死す。大野は貝塚にて先陣の戰を聞き駈向へば、樫井の軍散じけり。又一說に、淺野但馬守長晟紀州を打立ち、五千の兵にて泉州市場に著く。大坂より四萬にて向ふと聞き、淺野左衞門、敵何方に向ふとも市場表にて一戰せん、といふ。龜田大隅、後の勝こそ大事なれ。四萬の敵を五千にて支へん事地利に依るべし。一里引退きて、蟻通明神の松原を前に當てて安松に先陣を押出し、敵を引附け八町畷を繰引に、樫井にて戰はん。此松原有りて敵に見透されず。八町畷は雙方深田にて、一騎打なれば多兵懸り難し。然らば一騎合の勝負にて必定味方の勝利なり、といふ。淺野聞きて、敵の旗をだに見ずして北げん事然るべからず。龜田は引かれよ。我は引くまじき、といふ。龜田、我此所にて功名を遂げずば討死せん、と誓言して出陣したれば、樫井に於て一番鎗を合するか討死か、二つの中を出でず。此所にて一戰せられよ、必ず敗軍なるべし、といふ。淺野怒りて、物前に不吉の一言なり、と罵りけるを、淺野左近取扱ひ、所詮但馬守の下知に任せよ、とて前田越前を以て事の由を申す。長晟、兩人の存ずる所尤なり。龜田は度々武功譽の物師なれば、先陣五千の下知は龜田心の儘にせよ、と下知せらる。前田歸りて斯といへば、龜田淚を流し悅びけり。軍兵を安松に引取る處に、淺野左近、同日向、安井喜內、田子助左衞門、伊藤金左衞門等從ひけり。安松の長瀧村に陣す。市場に殘る淺野左衞門、同大炊、仙石因幡、三木小左衞門、未明に安松まで兵を引取りけれども陣すべき所無く、樫井に入りて半ば河原に陣しけり。大坂の軍は瓜生野にて勢揃し、先陣塙團右衞門、二陣岡部大學なりしが、二人不和にて塙眞先に進み行き、四月二十九日、泉州貝塚にて兵粮遣ふ。大野主馬は酒宴して打立たず。其時塙は三百許の兵にて安松に馳入り火を懸くる。龜田は蟻通の北へ物見に出づる所に、淺野左衞門乘來り、汝が謀りし所甚だ感じ入りたり、といふ。龜田、物前の積り論ずる事は珍しからざる事なり、といふ。旗本の旗色しどろなり、直されよ、といへば、左衞門、心得たり、とて乘戾る。斯る所に上田主水來りて、今日の合戰如何に、といふ。龜田、昨日計りし如く樫井にて軍すべし。兎角旗本の旗色惡しく見ゆるなり。乘歸りて直されよ、といふ。上田乘歸ると旗色犇々と直りたり。龜田其後上田を感じけるは此事なり。龜田は南の町端に、左の池の堤に、鐵炮五十挺伏せ馬より下り立ち、敵を待つ處に敵駈來る。龜田思ふ程に引附け、下知して鐵炮を打するに、生死は知らず。騎馬の兵三十騎許打落す。敵是にためらふ隙に、鐵炮に藥込みて一町許も引取つたり。斯の如く三度繰引にして樫井の町に引取り、馬を立並べて休み居たり。斯る處に敵味方は知らず、東の河原より步立の弓の者を率ゐたる大將馬にて乘來る。龜田河原へ乘出し、是は大坂にて誰の陣にてか候、と問ふ。岡部大學、と名乘つて馬上にて鎗たけに成りし時、大學馬を引返して北に向きて引退く。龜田、穢し返せ、と呼はり、一町許追捨てて樫井に歸り、此所にて討死までよ、と獨言して石橋に腰かけ、十文字の鎗を取り、鐵炮の者を集むるに、散々になり唯三人殘り止りぬ。三人龜田が前に來りて、腰拔共足纏になり候。落ちたるこそよけれ、とて少しもひるまず。龜田大に賞する處に、上田一騎乘來り、先に鐵炮の音しけるに、早くも引取られたるよ、といふ。龜田聞きて、我と御邊と二人討死するならば屍の山をもなすべし。但州公は琵琶が嶽を越させ給ひ、自害ありしといふは誠なりや。敵進み來るともまた一時は有らん、といふ處に、一騎は赤く鎧ひ、一騎は二三間後れたるが黑く鎧ひたる者駈來る。赤き物具は塙、黑き出立は塙が手の者なり。塙は龜田に向ひ、塙が從者は上田に向ふ。龜田立上り飛出でて鎗組みたり。敵の鎗龜田が冑を二打三打うつ處を、十文字の鎗にて、胸板又左の脇を突いて突伏せ、龜田が士菅野兵右衞門來り首を取る。敵伏しながら菅野が足を切拂ふ。菅野加右衞門助け來り、塙が上に乘りかゝり兵右衞門に首を取らせぬ。上田は鎗を打折り無手と組みたる處に、上田が手の者二人助け來りて敵を討取る。上田は痛手負ひけり。龜田は猶進み出で、十文字の鎗を足にて踏直し居たる處に、又敵一騎突きかけ來り鎗を合す。菅野加右衞門鎗にて脇壺を突く。須田作兵衞其首を取る。差物に谷下吉左衞門と書きたり。此時敵一人來りて龜田に向ふを、突拂ひたり。大坂方疎駈して、先陣の大將討たれしかば敗北しけり。東照宮も龜田が此日の軍を殊に譽めさせ給ふといへり。龜田は父を溝口半左衞門とて、柴田勝家に仕ふ。大隅若き時は半之丞といひて、十六の時初陣なりしが、柴田伊賀守に屬して、越前白鬼戶女河原にて、一本に白木戶馬上の敵を打取り、柴田父子感狀を與へらる。又越前丸岡の城へ一揆押寄せたる時も功名あり。賤ヶ嶽の軍にも良い首取りたり。後淺野家に仕へ、小田原、山中、武藏忍、岩槻の城攻にも度々功名したりければ、秀吉是を賞せらる。文祿年中朝鮮蔚山にて敵六騎と馬上にて太刀打し、一騎斬つて落し其首を取りければ、幸長感狀を與へらる。慶長五年濃州合渡にても功名し、瑞龍寺二の丸に先登し、度々武勇譽れ高かりければ、京都にて台德院殿御前へ召し出され、龜田が働類稀なり、とて御腰物を賜り、上田も同じく賜物有りて賞せられけり。龜田後安藝東條の城主となり、一萬五千石を幸長與へらる。子細有りて淺野家を去り、高野山學侶花王院の許に隱れ、寬永十年八月十三日卒しけるとぞ。