索引:人物 › 三好義賢
三好義賢
本文表記 實休・豐後守之長
三好實休戰死の事附光忠の刀の事 卷之三 · 24
- p01…京都に攻め上り、細川晴元に代りて五畿內の事を執る。第二の弟を豐後守之長、後實休と稱す其弟を安宅攝津守冬康、其の弟を十河一存と…
- p01…細川晴元に代りて五畿內の事を執る。第二の弟を豐後守之長、後實休と稱す其弟を安宅攝津守冬康、其の弟を十河一存と言ふ。天文…
- p01…其弟を安宅攝津守冬康、其の弟を十河一存と言ふ。天文二十一年實休持隆を殺し、其の後室を己が妾とし、惡逆を恣にす。永祿五年佐々…
- p01…畠山尾張守高政佐々木に黨し、紀州より泉州に討ち出づるにより、實休阿波より渡海し、岸和田の東久米田に陣す。久米田寺に橘諸兄公の…
- p01…渡海し、岸和田の東久米田に陣す。久米田寺に橘諸兄公の墓あり。實休墓を堀り石の槨を取り出す。聞く人眉を顰めずと言ふ事なし。三月…
- p01…ずと言ふ事なし。三月五日高政兵を分ち、先陣を額が原に押出す。實休山上より見下し、自眞先に進んで高政が先陣を打破る。檜木山に伏…
- p01…兵に根來法師相加り、不意に切つて懸り、三木內匠一番鎗を合せ、實休が先陣敗北しけり。實休は將机に腰掛けて引くな者共と下知し、散…
- p01…意に切つて懸り、三木內匠一番鎗を合せ、實休が先陣敗北しけり。實休は將机に腰掛けて引くな者共と下知し、散々に戰ひ殘り少く討たれ…
- p01…に腰掛けて引くな者共と下知し、散々に戰ひ殘り少く討たれしが、實休をば根來左京打取りたり。高政大に利を得、河內に押入り、此の時…
- p01…打出で、高政と藤井寺の南葉引野にて軍あり。冬康勝利を得たり。實休討死の刀は光忠が作なり。信長光忠が刀を好み二十五腰まで集めら…
- p01…。信長何とて見知りたるや、と問はるゝに、切先の少缺けて候は、實休打死の時根來左京を刎られしに、臑當に當りて缺けたると承り候、…
- p02…實休討死の時、長慶は飯盛にて連歌せしに、告來る。すゝきにまじる芦…
- p02…はず差置き、古沼のあさきかたより野となりてと附け終りて、偖て實休討死なり、と告げ來れり。今日の連歌是にて止べし、とて偖兵を出…
- p04…一說、實休は泉州岸和田を安宅攝津守冬康に守らしめたり。畠山高政は紀伊國…
- p04…の體なりしが、熊野根來寺の法師を驅り催し、岸和田へ押寄する。實休後卷せんとて渡海し、堺の津にて勢揃せり。高政、岸和田を攻めん…
- p04…國の兵は篠原右京進長房、一宮長門守成助等岸和田の大手に陣し、實休、旗本は久米田に有りしに、高政が陣を見て、高政は東を指して引…
- p04…むるか、又敵を南山へ誘き出すか、此二の間に過ぎじ、と言へば、實休、心安かれ。時を過さば敵に利有るべし。切つて懸りなば彼なる山…
- p04…、とて二人の詞を用ひず。入江等東北の山際に進んで待ち居たり。實休は篠原が兵をもて高政を誘せけるに、長房勇懸りて進み行く。山の…
- p04…勇懸りて進み行く。山の上より根來法師、成田玄齋、雜賀孫市に、實休旗本僅に見ゆ。左へ廻りて切つて懸り、勝敗を一時に決すべし。阿…
- p04…べし。阿讚淡の三國の兵を引き請けて一手立て無くばあらじ。若し實休を討漏さば、共に戰死すべし、と言へば、孫市子細にや及ぶ、とて…
- p04…べし、と言へば、孫市子細にや及ぶ、とて山を下り立、眞一文字に實休旗本に押懸り、忽ち實休を鎗玉に上げて討取りたり。鹽田等は敵を…
- p04…細にや及ぶ、とて山を下り立、眞一文字に實休旗本に押懸り、忽ち實休を鎗玉に上げて討取りたり。鹽田等は敵を待て共見えざれば、如何…
- p04…。鹽田等は敵を待て共見えざれば、如何にと思ひ物見を出す所に、實休討死を告げ來る。然らば高政が陣に切つて入り討死せよ、とて駈向…
- p04…堺を指して敗北しけり。是永祿五年壬戌三月五日久米田合戰にて、實休三十六歲なりといへり。…
この索引は編者の判断による比定を含みます。詳しく