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三村親成
本文表記 親成・三村孫兵衞親成・三村
遠藤喜三郞三村家親を打つ事竝備前明禪寺合戰の事 卷之二 · 8
- p03…打貫きたり。其の鉛子の跡今に柱にありとかや。此の時三村が側に三村孫兵衞親成といふ老功の兵有りけるが、ちつとも騷がず、人々靜まり候へ、と…
- p03…無りきとて物見を出すに、三星より打つて出でたるけしきもなし。親成下知して、今夜備中に引返すべし、とて松山に歸りて後、家親が死…
- p03…し、とて松山に歸りて後、家親が死したる事を人皆聞きたりけり。親成無かりせば大に騷いで敗北すべきに、と人皆言ひ合へり。遠藤は元…
- p03…家の力を賴み、浮田を討滅すべし、と謀りければ、皆尤と一同す。三村孫兵衞親成同孫太郞義兼父子は、父の仇を報ゆるに、他人の力を借る事や候べ…
- p03…家武運を開くべき時なるに、衆議に背く事よ、と人々怒りければ、三村父子は詮方無く成羽に歸りぬ。常山備前兒島郡の城主三村上…
- p03…城主三村上野介高德元親の從弟にて高德が妻は元親の妹なり親成を捨て置きたらんには、必ず將軍へ告げ知らせ、逆寄すべし、とて…
- p03…、此義に同じて信長の許に使を遣し、成羽に働く可き設をなせり。親成は如何すべきと案じ煩ひたる所に、靈陽院殿より偏に賴み思召す由…
- p05…夫より兒島の常山を攻めんとて、毛利家の大將小早川伊豆守光重に三村父子相加り、成羽にて勢揃して、六月四日山村兒島郡に陣し…
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