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伊集院忠棟
本文表記 兩將・伊集院右衞門大夫忠棟・伊集院右衞門大夫
高橋紹運討死の事附立花統增薩摩に囚るゝ事 卷之八 · 10
- p01…島津義久、島津圖書忠長、伊集院右衞門大夫忠棟を大將として、兵五萬を以て筑前岩屋の城主高橋紹運を攻む。岩屋…
- p06…を稱美しけると言へり。又一說に、天正十四年六月、島津圖書頭、伊集院右衞門大夫、兩先陣にて筑後國高良山に押入り、島津義久、同兵庫頭義弘は肥…
- p06…り、其明の日廣門の館を取圍み廣門を虜りたり。同月十三日先陣の兩將太宰府觀世音寺に著陣す。其外龍造寺政家、秋月種實を始として相…
- p06…及べり。岩屋の麓筑山橫岳二日市太宰府の邊尺寸も透間無く陣し、兩將より莊嚴寺の僧を使として、此度太宰府に攻め寄せ候は、紹運に對…
- p06…る道をこそ存ぜらる可けれ、と答へて、降る可き事は思も寄らず。兩將重ねて莊嚴寺の僧を使として、八ヶ國の大軍を引受け、堅固に城を…
- p06…り一同に九州の亂に及べる根本の人なれば秋月に腹切らせ、薩州の兩將より、今度の弓箭は京都又豐州への遺恨に非ず。筑紫廣門が反心を…
- p06…深く寄手も勞り養育しけるとぞ。統增此時寶滿が嶽に有り。薩摩の兩將使を以て、城を渡されよと云ひ送る。統增今年十五歲なり。城中以…
- p06…んには和平すべし。然らずば城を枕に切死すべき、と答へければ、兩將より、子細あらじ、と許諾し、神文を書きて送りしが、俄に約を變…
- p06…一つ仕らん、と答へられけり。斯る處に八代に陣せられし義久より兩將に下知し、秀吉師を出して打向はるゝ由云ひふらせり。疾く兵を返…
- p06…由云ひふらせり。疾く兵を返す可し、と有りければ、八月二十四日兩將太宰府を引き拂ひぬ。統虎陣を押出し、高取の城を攻落し、城主星…
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