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徳川光圀
本文表記 此君・義公・水戶中納言光圀卿・光圀卿・源光圀・水戶の義公
水戶義公御事業の概略 卷之二十四 · 8
- p01…水戶中納言光圀卿は、賴房卿の第三の子、東照宮の御孫なり。寬永十年威公の嗣未だ…
- p01…だ定らざりしかば、嚴有院殿の仰にて中山備前守信吉水戶に至り、光圀卿三つに成り給ひしを見て、斯と申上げて嗣に定まりぬ。正保二年史…
- p01…けて后に列し、大友皇子を天子と定め、南朝を正統と立てらる。皆此君の義烈なり。寬文三年賴房卿卒去あり。葬禮僧家の法を用ひず、瑞…
- p01…死を止りしかば、此事聞えて、殉死天下一統停止の旨仰出されしは此君の故なり。又兄の賴重卿の子松千代綱方を、强ひて養嗣とせられん…
- p03…らせられ、又舜水の碑を瑞龍山に建てられ、其文集を輯して、門人源光圀と稱し給へり。彰考館を作りて和漢の群書を集められしに、遠國他…
- p03…。山には漆楮多く植ゑさせ給ひけり。元祿十三年西山に逝去あり。義公と謚せしとなり。…
- p04…國初より已來の諸侯の中に、會津の神公、水戶の義公、備藩の芳烈公、三公の如きは寔に非常の君と稱し奉るべし。神公…
- p04…如きは寔に非常の君と稱し奉るべし。神公の事詳なる事を知らず。義公の一世の事跡西山遺事に審に記したれば、只一二の大なる事を記せ…
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